壁を蹴っ飛ばしたあの日の思い出③~長男夫の苦悩とは⁉

嫁の気持ち、姑の気持ち

町内の用事で、わずか1時間ばかり妻が留守をする間に、子守の為に舅、姑をウチに呼んでいた夫に呆れ、怒りが爆発した日のエピソード、最終話です・・・(^^;

その後、何日かして冷静になってから、私は夫と話し合った。

夫は、当時1歳だった息子を
「一人で見ていられなかったわけじゃないよ、もちろん」と言った。

「でも・・・親の期待どうりに行動してしまうことが習慣になっていて、それは簡単には変えられない。だから、この前もつい、電話して親を呼んでしまったんだよね」と言った。

あぁ、やっぱり、長男の悲しいサガってヤツが原因か・・・(^^;
その家の、長男、長女に生まれついただけなのに、「家」や「親」は自分が守っていくという自覚が芽生え、育っていくようで、それは次女の私にはない感覚。
「家」のことより「自分」を大事にすればいい、って思ってしまう。

舅、姑は当時1歳だった息子(初孫)のことを、溺愛していた。
盲目的な愛だったともいえる(笑)
孫中心に世界は回っているような勢いだった。
コレ、ホントにね(笑)
だから、出来る限りたくさん会わせてあげることが、自分の役割だと夫は思っていたようだ。
孝行息子の鏡・・・別にそれは悪くない。善い行い。

でも、そうなると、夫の中では妻の気持ちは二の次、三の次になる(-_-;)
親の喜び > 妻の気持ち・・・(^^;

夫は日頃からの親の行き過ぎた関わりやお節介については、妻の私に
「結構負担をかけていると思う」とも言った。

でも、自分と妻の「自由」や「意思」が大切でも、どうにも、まず、「親のことが頭をよぎってしまう」ものらしい。

親が喜ぶことを、つい、優先にしてしまう、という不思議。
しかも本意ではない場合だってあるし、うっとおしいという気持ちが湧く時だってあるようなのに。

子供の頃から、「いつもヨイ子であらねば」「親の期待に応えねば」という気持ちがベースにあって、息子が生まれてからは一層「親を喜ばせてあげなければならない」という使命感にかられていたようで、それを知ればちょっと切なくもある。

結婚する前から、夫の気持ちは何となく分かっていたけれど、
長男としての自覚と苦しい胸の内を改めて知った・・・

いつも何かにつけ親がからんでくることが、本音ではどうにもしんどかったけれど、
長男への期待は、つまりは、長男の嫁への期待と察し、出来ることは何とかやっていこうと思った。

出来ることは!ね(笑)

前回書いた
<元は皆「愛」の気持ちで行動してるのになんで上手くいかないの?>
というギモン。

それは、一見純粋な「愛」のようで、どうしてもそこに「ムリ」とか「我慢」が混ざっているからだと思う。純度100%の愛じゃない(笑)
「ムリ」が混ざると、人は苦しい。それが関わる相手にも伝わっていく。

だから、長男の嫁として、「出来ることはやる」けど「ムリはしないわよ」というスタンスは大事だと思う。

そう決めていても振り返れば、ハッキリと「イヤです・・・」とは言えないことは山ほどあった。
舅宅にいて「早くウチに帰りたい」と思ったことも数しれず(笑)
いつも本音を、本当の気持ちを伝えることは難しかったなぁ。

我慢が過ぎると、限界突破してしまう。
そうすると、相手だけじゃなく結局自分も傷ついて自己嫌悪に陥る悪循環。

大事なのは、やっぱり、自発的な気持ちとホンマもんの愛
コレが育つまでにはどうしたって時間がかかる(笑)10年?まだまだ。15年とか20年よ(笑)

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