嫁をやめることができるって⁉~婚家との関係はやっぱり難しい

嫁の気持ち、姑の気持ち

垣谷美雨さんの著書「嫁をやめる日」を読みました。まずは、この本のタイトルに惹かれて(笑)
サイコーに面白くて、共感の嵐!
主人公の夏葉子は44歳。ある日突然、夫が脳溢血で急死したところから物語は始まる。
子供のいない夫婦だったが、長崎の田舎町で暮らす夏葉子には、重たい嫁の責任がのしかかる。夫の両親や親戚、近所からの同情はやがて、監視へと変わっていく、というお話。

私も30代半ばで夫と死別。
夫が亡くなったのなら、嫁ぎ先との付き合いは減るだろうし、そもそも、もう「自由」なんじゃないの?と誤解され易いが、この小説と同じように、「自由」なんてなかった。なかったどころか、全く!なかった。
むしろ、私の場合も、夫の両親との関係はどんどん濃くなっていった(笑)
夫の仏壇とお墓の費用も夫の親が出すというのも小説と同じで、供養に関わるアレコレが一層結びつきを強くしていき、もう、ホントにどうしようもないの(^^;
決してイヤとは言えない束縛感。それはまだ若い嫁にとっては窮屈で、重荷となる。

親だから、嫁のために、できることは何でもしてやりたいと思うのは当然だし、最愛の息子に先立たれた悲しみは深い。これは分かる。
ウチの場合は、夫の両親は孫(私の息子)のことを「跡取り」として溺愛していたことも、結びつきを深めていく大きな要因だった・・・

「お線香をあげさせてください」
その優しそうな一言が、まるで他人の家に自由に出入りできるチケットであるかのようだった。<本文より>

まずはコレ!現実の世界でもこの通り!でした・・・(^^;
これまで会ったこともなかった夫の職場の人たち、夫の学生時代の友達、夫側の親族たちも次々と「お線香をあげに」家に来た。気楽な間柄の人ばかりではない。舅や姑の知人を前にして話題に困ることもあった。そもそも夫をよく知っているというよりは、舅、姑との付き合いで来る人も多かった。

事前に連絡があるならまだ良いけれど、突然のアポなし訪問だってあった(^^;
初対面の人は、続き柄を分かるように言ってほしい・・・田舎のオジサン達って、まず、そこから・・・
へー、あんたが奥さんか」と見られるばかりで、こちらも困ってしまう。そちらは分かっていても、コチラは何も知らないんだって!と言いたかった。

当時ウチの息子は3歳とか4歳の頃。
家の中はおもちゃやら何やらで、とっちらかっている。
わざわざ来てくださるのに、お茶をださないわけにはいかない。
本当に、いつもホッとできる時はなく、常に慌ただしかったのも小説のお話と同じ。

忘れられない思い出がある。
夫が亡くなって、まだ間もないある日の朝のこと。
春の終わり頃だったか、辺りが明るくなってきた頃の時間帯。
息子と二人寝ていると、玄関のチャイムがなって驚いた。
「ピンポーン、ピンポーン」時計を見ると朝6時前!
何事だろう、誰だろうと思ったけれど、度重なる「お線香をあげさせて」に辟易していた私は、何だかもう、出ていくことがイヤになった。
朝の6時にチャイムを押すなんて非常識。一大事でもなきゃ許さん(笑)

私は布団に入ったままで、出ないことに決めた。何だか腹立たしかったから。
暫くして起きて、新聞を取りに外に出ると、ウチのバケツに水が張られ、そこに一本の白いユリの花が差してあった・・・

それは、花屋さんで買ったような花ではなく、庭で咲いたのか、自生していたものかわからないけれど、「このお花、お供えしてくださいね」というちょっとした親切心のようだった。

近所の人かなと、心当たりを尋ねたけれど、結局そのまま誰が持ってきてくれたのかは分からずじまい。

あれから、21年・・・
当時、まだ30代で、幼い子供がいる私を気の毒に思い、同情してくれる人はたくさんいたようだ。

その気持ちは有難いけれど、当時は「フツウに生活させてよ~」って思う日々だった。

因みに小説の中では、嫁の役割に疲れた主人公は、市役所に「姻族関係終了届」を提出することで夫の親族と縁を切って「自由」を勝ち得ましたとさ。
現実の世界の、そうはいかなかった私のお話は、今後もカテゴリー「嫁の気持ち、姑の気持ち」に投稿していきますので、お楽しみに~(笑)

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