親の家を片付ける

嫁の気持ち、姑の気持ち

一人暮らしをしていた夫の母が91歳で亡くなり、一先ず家の片付けに取り掛かった。
勿論いきなりあれもこれも処分しようというつもりは全くない。

腐敗が心配な冷蔵庫の中の食べ物、とりわけすぐに傷んでしまいそうな生ものや買い置きしてあった野菜は処分。仏壇の花を片付けて、干しっぱなしの洗濯物を畳んだ。これから洗濯するはずだった衣類を洗って干して、流しに置いてあった食器は洗って収納した。亡くなるその日までの生活が突然止まってしまったので、どうしても続きをやらなければならないことを一先ず動かす、そんな感じだった。
最近は掃除をきちんとする程の気力もなかった様だから掃除機をかけて、埃を拭いたり雑巾をかけたりもして。

それにしても、高齢者はどうしてあんなにも色々なものを大切にとっておくのだろう。
戦争を体験して物のない時代を生き抜いてきたから?それだけ?

資源ごみの分別はしているようだったが、まず空き瓶の数が半端なく多い。けた違いに多い。
棚の扉を開くと全部空き瓶が入っていた。
きっとこんな感じだろうなと想像はできたので、あまり驚かないが数は想像をはるかに超えた。

次回の資源ごみに出すつもりでその機会を逸し続けているというよりは、
いつか、この空き瓶は便利に使えそうだから。
というつもりで綺麗に洗って蓋もきちんと締めてしまってあるよう。
その数が尋常ではない。
義理母は元々マメで料理好きな事もあり、梅干しをつけたり、手製の梅ジュースやかりんジュースなども毎年その季節になるとたくさん作る人だった。
だから、梅干しでも、黒豆でも、らっきょうでも、蜂蜜でも色々と小分けにして、嫁の私や義理の妹を始め誰かにあげる時や、ちょっとした保存に使おうと空き瓶を大切にとってあるのだ。
それにしても、こんなに使えるわけがない。現に使えていない(笑)

ペットボトルも同じ様な理由で「何かの時に使える」という意識が働くのだろう、大量にあった。
そしてそれらは、アイテム毎に一か所にまとめられているわけでもないので、色々な場所から後から後から空き瓶やらペットボトルが出てくるので大変だった。

最近は本当に何をするのも億劫な様子だったから、全部きちんと、綺麗にとは程遠い。
キッチンの片付けには義理妹と義理妹の娘、私の女3人でも結構な時間がかかった。

さらに、気に入ったものは同じものをいくつも買うという癖があり、大量に同じお菓子や食品がある。それもやっぱり色々な場所から出てくる。

そして「いつか何かの時に使える」という思い込みから大事に取ってあるものは他にも色々あって、大量の包装紙も出てきた。
きっと綺麗な包装紙だったのだろうが年月が経ち、どれも埃をかぶりとても使えそうにない。絶対必要なさそうなDMも山の様にあった。その中には亡くなった私の夫の出身大学から未だ夫宛てに来ている郵便物もあって、それは早くに息子を亡くした義理母にしてみれば、こうして届くことが生きていた証のようで嬉しかったのかもしれないなぁと察したりした。

10年前に亡くなった義理父の飲み薬は、捨てたくなかったのかなぁとも思ったけれど、とにかく埃が被っているものは処分させて貰った。

義理母から、「いつか何かの時に使える」というフレーズは何度も聞いたっけ。
ごめんね、と思いながら不要なものはどんどん処分してキッチンは見違えるようにスッキリした。

勿論日常的に使っていたものは何もかもまだそのままだ。

他にたくさんあって驚いたものは、端切れの布、布団、座布団、毛布、タオルケットの類。
そしてこの先絶対困りそうなのは結構な数ある人形。こけし。ガラスのケースに入った人形もいくつかあった。それから置時計。全部時間はバラバラ。こんなに時計があるのに今、一体何時?(笑)

食器、本、そして義理父のビデオテープの数は1部屋埋め尽くすほどあった。
それも、きちんと背表紙にタイトルが書かれて保管されているから気軽には捨てられそうにない。仕事で使っていた大切なものだと分かる。

当面、今までの通り残しておく。先々のことはまだ何も決まっていないし
ちょくちょく行って思い出に浸れば良いかなぁと思っている。

お片付けコンサルタントの「こんまり先生」がご覧になったら気絶なさる事は間違いないけどね(笑)

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