遺品整理~昭和の「応接間」事情と掛時計の思い出

嫁の気持ち、姑の気持ち

姑が晩年独りで暮らしていた家は二階建ての一軒家。
庭には柿の木があって純和風のゆったりとした造りになっている。
築年数はおよそ50年・・・(^^;
姑が亡くなり空き家になってから、1年が経過したところ。

昭和の高度経済成長期頃に建てられた家によくある間取りの、玄関を上がってすぐ廊下の右手には「応接間」がある。

でも、かつての「応接間」にはソファひとつあるわけでなく、完全に「物置部屋」と化している・・・(^^;
しかもどこもかしこもホコリがすごい・・・

私が夫と結婚する前、初めてこの家を訪ねた27年くらい前もこの「応接間」には通されなかったから、もう既にその頃も「物置部屋」になっていたと思う。
舅も姑も洋室より、畳の方がくつろげるようだったから、お正月や親戚が集まる様な時も「応接間」ではなく、廊下を挟んで向かい側にある、二間続きの和室がいつも使われていた。

「応接間」の照明は昭和感たっぷりのシャンデリア・・・(^^;
カーテンは上部にも共布の飾りがついている厚手のドレープカーテンで、イマドキではみかけないクラッシックなデザインが一周まわって新しいかも(笑)・・・(^^;
部屋の奥の方には暖炉として使われたことがあったとは思えないけれど、大理石ふうのマントルピースがあり、その上にほこりを被った人形と、オーディオセットが並んでいる。
側には大きなガラスのケースがあって、中には日本各地のお土産の置物がズラリ飾ってある。
本棚には分厚い全集や辞典がぎっしりと詰め込まれて、昭和の応接間の趣きそのもの(^^;

床は雑然と散らかっている。
カラの箱とか、段ボール箱とか、厚紙、包装紙、チラシ、紙袋などが幾重にも積み重なって床を埋め尽くしていて足の踏み場もない(笑)
どれも、ホコリを被っていて絶対使えそうにないけれど、姑はこの部屋でそれらを収集していた様子・・・(^^;
段ボール箱に綺麗な包装紙を貼って、手製の収納BOXを作ることが得意だったから。

一階の奥には洋室の寝室、その隣に4畳くらいのタンス部屋がある。押し入れの布団類と衣類の量はハンパない。
他はダイニングキッチン、お風呂とトイレ。二階は和室が3部屋とトイレ。
えっとつまり、この家は8DKか・・・今では考えられない間取り(^^;

それにしても「とってある」ものの量がおかしい。
夫が小学生の頃に書いた作文のファイルや昔のアルバムも何冊も出てくる。和ダンスには初めて目にする着物が畳紙(たとうがみ)に包まれてぎっしりとしまってある。ナフタリンの香りも、もうしない(笑)
半世紀の歴史に決着をつけるのは容易ではなさそう・・・(^^;

静まり返ったこの家の中にいると、炊事場の壁掛け時計のコチッコチッという音だけがよく響く。
時計はたくさん置いてあるけれど、ピッタリ時間が合っているのは唯一この掛け時計だけ。長いこと姑の愛用の品。今は私も頼りにしている。

「この時計はねぇ、私が死んでからもちゃんと動くからね。この前電池を変えてきたの。
これから10年は動くんだって」
そう笑って話していたことを思い出す。

姑の日記を読んでいたらその日の記録をみつけた。

H27 3月17日(火)
急いで13:52のバスにのって駅前へ。炊事場の壁の時計が遅れ出したのでそれを持って駅前の時計店へ行く。特殊な電池でないかも・・・と言われてびっくり。
幸いあったのでかえてもらった。ホッとした。1620円
私が死んだあとも動くだろう。10年もつということだから。

長く使われてきたもの一つ一つに思い出や愛着があるのは嫁の私にしても同じ。
何でも知っているようなつもりでいたけれど、ここにきて、遺されたものから分かることも多い。

長く生きた証が詰まったこの家がキレイになって、もう一度灯りがともるなら、姑はどんなに喜ぶだろうとふと思う。

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