元旦にお雑煮作らないと嫁、失格⁉~姑の思い出 お正月編

嫁の気持ち、姑の気持ち

年末に投稿したブログ、「嫁の気持ち、姑の気持ち」~迎春準備編を書いて、改めて自分が箱入り嫁だったことを痛感して、恥ずかしいやら情けないやら・・・(^^;
何せ50代もとうに折り返して、この年になって初めてお正月食材を用意した私。
姑が生きている間はずーっと、あれもこれもと姑が用意してくれていたから。

そして今年初めての投稿は、姑の思い出話でお正月編を書こうと決めていたのに、地震でそんな気持ちはどこかへいってしまっていた。

さて今月は、姑の一周忌を迎える。
お正月はずーっと前に終わったけれど、やっぱり少し書いておこう(笑)

元日の姑はいつも生き生きとして、張り切っていた。
自分の手料理を皆に食べさせることは姑の喜びだったから。
お正月以外にも一緒に食事をする機会は、とりわけ息子が幼い頃はしょっちゅうあったけれど、元日に皆で囲むお祝いの食卓には特別感と姑のヤル気が溢れていた(笑)

姑が用意してくれるのは、しゃぶしゃぶ、お刺身盛合わせ、姑お手製の田作りと黒豆、ほかは既製品のおせち。
姑の黒豆はふっくらとして艶々。味つけも完璧で、毎年パーフェクトな出来映え。
尚、作り方はついに嫁には伝承されないまま(笑)
お味見で一つつまんで「美味しい!」と言うと、
「まず鉄の鍋に、あーして、こーして・・・」と黒豆の作り方語りが始まる(^^;
けれど、姑の話は恐ろしく長い。
準備をしながらの話はあっちへいったり、こっちへいったりで、結局、ちゃんと作り方を教わらないまま。

元日の御馳走の支度で、嫁の私が手伝うのは鍋の具材やお刺身、伊達巻、蒲鉾などを「切るだけ」(笑)
そもそもメニュー的に大して手伝うことはない。
それなのに姑は決まって、
「あなたにすっかり何もかもやらせてしまって。ホントに大助かりよ、ありがとう」
と言ってくれる。それも毎年変わらず同じ。

そんな中で必ず聞かれるのは
「今年のお餅どうだった?」
姑が用意してくれたお餅をこの時私はまだ食べていない。
でも、元旦の朝食=お雑煮と信じて疑わない姑に「食べていない」と正直に言うことは、悪い気がして私はいつも嘘をついた。

「あ、うん、お雑煮。美味しかったよ」と適当なことを言っておく。それも毎年変わらず同じ(^^;

用意ができて、お鍋を囲む時になっても姑は
「さぁ、たーくさん食べてね」と言うだけで自分は座りもせず、直ぐにキッチンへ戻っていく。
舅や私たちがどれだけ一緒に食べようと言っても、後で出す味噌汁の用意を始めてしまう。
姑はささっと手早く作るということがない。何でも丁寧にするのでフツウの人の3倍くらい時間がかかる。
だから、ようやく姑が落ち着いて座るのは皆が満腹になる頃。それも毎年変わらず同じ。

「皆がたくさん食べているところを見ているだけで嬉しい、それが私の楽しみ」と姑はいつも言った。

なんて優しい姑さん!こんなイイ人となら嫁姑問題なんてないんでしょと思いますよねー(笑)

でも上手くいくことばかりじゃないのが義理の仲。嫁と姑の気持ちはすれ違うのが当たり前。
この文中にも、上手くいかない原因が既にちゃんと書いてある(笑)
そう、お餅のくだり(^^;

元旦の朝にお雑煮すら作らない不出来な嫁、ルーズな嫁と思われるのがイヤで嘘をつく私。
嫁の本音はシンプル。お餅は大好き。でも朝はパン!1年365日パンがいい!

そのうちお昼にお雑煮にするから。鍋の締めにもいいしね。
因みに息子はお雑煮が苦手の焼き餅派。
だから結局お雑煮はパス。

最後まで、私のこの本音を伝えたことはなかったけれど、今思えば、本音を言ったとしても、姑は私のことを不出来な嫁とも、ルーズな嫁とも思わなかっただろうと気づく。(遅い!)
がっかりさせるわけにはいかないと勝手に思って、いつも出来る限り良い嫁のフリをしていた。
そもそもその嘘やムリが疲れる原因。
そんなことする必要もなかったのに。

長い付き合いの中で、だんだんとお互いを理解していくようになるんだから。

期待に応えようと気負い過ぎて苦しくて、ぎこちなくなってしまうことはたーくさん、あった。お雑煮の話みたいな些細なことが原因で。
それが積み重なると、余計にお互いの本心が分からず気持ちが離れてしまうものなのに。

姑の優しさと真心のこもった料理を思い出すと今も心が温かくなる。
それは嘘じゃない、本物だったからなんだと思う。

ごめんなさい、嘘は、もうつきません(嫁(笑)

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