重たい気持ち、無気力の正体は「共感疲労」でした

日々の事など

年が明けてから、不安な気持ちにかられることが多い。
地震の報道を何度も見聞きして、あまりに惨い被災地の現状に言葉を失う。
自然災害の猛威に人の無力さを思い知らされて、この先もいつ起こるとも分からない災害を憂いて、漠然とした不安が湧いてしまう。

どうにも、悲観的・・・(^^;

そんな暗くて沈みがちな気持ちは、地震の報道に敏感に反応して、被災者の流す涙に胸がしめつけられる。
「あぁ、どんなにつらいことだろう」と、テレビに映る被災者の方の気持ちを我がことのように丸々受け止めてしまう。
ニュースを見る度繰り返すこの反応に、自分の心は沈んでいく・・・
気持ちの切り替えが上手くいかず、テンションは下がりっぱなし。コントロール不能。

今、そんな人が多いのではないかしらん?

そんな折、私の救いになったのは、7日の中日新聞「共感疲労」についての記事
自分の心の重たさの正体にハタと気がついた。
あぁ、私もコレだったのね・・・と。

前回ブログの最後にも書きましたが、カンタンにまとめてみました↓青字は新聞記事より引用
「共感疲労」とは大変な辛い状況にある人のことを聞いた時、気持ちに共感する(し過ぎる)ことで、心身に不調をきたすこと。
繰り返しニュースを見ることで、自分の体験のように感じて疲弊してしまうことが原因。
因みに脳科学的には男性より女性の方が共感能力は高いのだそう。

涙が出る、やる気が出ない、眠れない、などストレス障害のような症状が出ることもあるそうで、長引くと日常生活にも差し障りが出てしまう。

他人の辛さや心の痛みを、自分ごとのように受け止め共感することは、想像以上に自分自身を傷つけるんだ。
被災地のことを思うと、平穏に日常の生活を送ることにさえ罪悪感を抱いてしまう。
でも冷静に考えれば、その罪悪感は単に自分の心のありようで、相手の辛く厳しい状況は現実的には何も変わらない。

相手の背負ったものを、自分が引き受けてあげられるわけではないから。

「共感疲労」を防ぐには、関連ニュースを制限する、出掛けるなどして気分転換をはかることが良い
「共感疲労」だと自覚するだけで気持ちが軽くなる、とも書いてあったけれど、本当にその通りだと思う。
このどうにも重たい気持ちと無気力の正体が分かって、私はちょっと楽になった。

感受性が強くて誰かの辛い気持ちに寄り添うことが得意なのは日本人の気質かもしれない。
誰かの事情を察したり、相手を慮(おもんぱか)ったり。
でもそれにばかり心が引っ張られ、行き過ぎると、自分自身が危うくなってしまうんだ。線引きは大事。

募金をするとか、今できることをしたら、あとは、自分の生活の中の役割をこれまで通り果たしていこうと思う(^^)/

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