今日は母の愛について語ってみますわ(笑)
赤ちゃんが生まれたその時から、母親は片時も赤ちゃんの側を離れない。
赤ちゃんは、泣いて、おっぱいを飲んで、眠る。
ただひたすらに、それを繰り返すだけの日々なのに、不思議と母の心は満たされ、生まれてきた我が子のことで一杯になる。
これが、蜜月の時ってヤツね。
産院から家に帰っても、四六時中一緒にいることに変わりはない。
新生児の時期を過ぎて生活にリズムができてくると、いつお腹が空いて、いつ眠くなるのかや泣いているワケも察しがつくようになる。
成長するにつれ、何に興味があるか、何をして遊びたいか、何が食べたいか、子供のことなら何だって分かるようになる。
昨日と今日が同じような一日だとしても、子供の些細な変化に気づける。
ずっと片時も離れず一緒にいるから、子供のことで、知らないコトや分からないコトなんて何もない。
だから体調を崩して病院にかかる時も、まるで自分のことのように医師に子供の容態を詳しく説明できる。時系列もばっちり。
こと、子供のことに関して母親の記憶力は本当に凄い(笑)
保育園、小学校と進むにつれ、子供の世界が広がっていっても
家に帰ってきた時の表情を一目みれば、子供の気持ちは手に取るように分かる。
学校でどんなことがあったのか、何が楽しくて、何に困っているのか、良いにせよ悪いにせよ子供の心模様は母にはお見通し。
友達と元気に遊ぶ様子を見ると心が安らぐ。
子供の喜びはそのまま母親の喜びになる。
だから、楽しいこと、喜ぶことをたくさん体験させてあげたいと一生懸命になる。
子供の笑顔のためにと出掛けたテーマパーク、遊園地、海、プール。
GWや夏休みの旅行、子供が熱心に打ち込むクラブ活動のサポートもして子供中心の日々が続く。いつも大なり小なり何かしら子育ての悩みは尽きない。
それがやがて、高校、大学に進む頃には徐々に、信じて見守るだけのスタンスに変わっていく。
子供が迷ったり悩んでいる時も側でそっと支えになるくらい。
教え諭すようなことはもうないし、日常の家事以外にしてあげられることはなくなる。
大人になって離れて暮らすのだとしても、母の心の真ん中にはいつも子供のことがある、それはずっと変わらないまま。
子離れできていない、ってコトとは違うと思う。
こんなふうに20年余りの年月、紆余曲折ある中で子育てをしても、
いざ結婚するとなれば、
「僕のことを、分かってくれるのは君だけだよ」
的なことを彼女にいったりするに違いない(笑)
親の心、子知らずとはこのことよ。バカバカしい(笑)
それでも、息子のことを理解し好きになってくれる人が現れたら、それはやっぱりとても嬉しいことだと思う。
要するに・・・
親の愛は見返りを期待しない。
てことは・・・
自分もそんなふうに愛されて育ったんだ。
と、ワタシ気づくの遅すぎ(^^;
実家で暮らす私の母は認知症で同じコトを何度も言う。
自分の言いたいことだけを一方的に話すので、もう、ちゃんとした会話にはならない。
子供に戻っていくようなところさえ見受けられる。
それでも、私が「じゃあ、またね」と帰る時には、いつも私の車が見えなくなるまでずっと見送ってくれる。
車を発進させてから、ちょっと手を上げると、手を振ってこたえてくれる母の様子がバックミラーにうつる。
今も、この世界中で一番私を愛おしく思ってくれる人はやっぱり母なのだろうと思う。
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