姑との思い出~デイサービス?そんな所行きたくない!

親の介護

「親がデイサービスに行きたがらない」という話や悩みを聞く。
或いは
「初めは嫌がられたけど、行き始めたら喜んでいくようになった」という話も同じくらい聞く。
いずれにしても、行き始めるまでのハードル、壁は高くて、最初からすんなり受け入れて行ってくれるケースは少ないよう。
どこの家でも似たり寄ったりなのだろうと思う。

本人の気持ちとしては、自分はボケていない、大丈夫と思っているから「そんなところに行く必要はない」となる。
そして、高齢者の多くは自分の事にお金を使う事を「贅沢だ、勿体ない」と考える。
そもそもお金を使う事に罪悪感があるのだと思う。
食べる物も含め、物のない時代に生まれて貧しい戦後を生き抜き、大人になってからは懸命に働いて高度経済成長を支え、堅実にお金を貯めることが大事と刷り込まれているから、今更どうしようもない。
急にはその価値観は変わらない。

けれど、一緒に暮らしている家族や身内は困るのよ。
デイサービスにでも行ってくれないと、安心していられる時間もない。
ボケて同じ事ばかり言うようになると、一日中一緒に生活する家族もくたくたになってしまう。
いつの間にか外に出て行ってしまうから、心配で目が離せない、という話も聞く。
足腰が弱って来て、お風呂に入れるのが難儀、ということもあるようで、
毎日の事、誰がやるにしても重労働で負担は大きい。

デイサービスは自分の為に行くんじゃない、一緒に暮らす家族を少しでも楽にするために行って貰わないと困る。

介護にまつわる色々な話を見、聞きする中で自分がその時を迎えたら子供のいう事を素直に聞こうと思う(笑)これだけはボケても絶対忘れない様にしなくちゃね(笑)

舅が亡くなってから10年近く一人暮らしを続けた姑は、91歳で亡くなった。「デイサービス」どころか介護認定を受ける事さえ断固拒み続けた。
本当に頑なだった。結果一度も介護保険の利用すらしていない。
姑が亡くなってから、市役所に手続きに行った時、健康保険課では「立派でしたね」と褒められました(笑)
年相応のちょっとした物忘れはあってもボケは最後まで全くなかったから、もし介護認定を受けていたとしてもせいぜい「要支援2」くらいだったと思う。話が通じないとか、会話の内容が理解できないということは全くなかった。記憶力も抜群。

自分の事は何でもできた。トイレもお風呂も、身支度もそれどころか買い物に行って料理もしていたし、歯医者への通院も予約も、そして予約の日にちを忘れるとか、間違えることもなかった。
ただ、亡くなる3か月くらい前からは、あらゆることが億劫になっていたようだけれど。

「デイサービス」については「そんなところには行きたくない、行って何をやらされるの?ふん、馬鹿馬鹿しい」の一点張りだった。姑のその気持ちはよく理解できたから、無理強いするつもりはなかった。
でもせめて介護認定を受けて要支援でも認定されれば、ヘルパーさんに日常生活で困っていることを気軽に頼めて便利で楽になるのではと考えて、何度か話はしたが嫁の言う事には、聞く耳持たずの姑だった。

コロナ禍ではワクチン接種にも懐疑的で「国産のものが出来て安全が保障されてからでないと嫌だ」と言って、自分の考えを通して一度も打たないままだった。

「もういつ、トンころり、と逝ってもいい」と始終言っているんだから、
「それならもう何を打ってもいいんじゃないの?」と言いたいくらい(笑)

ワクチンを拒み続け、コロナに感染して重症化してもそれは仕方がないとしても、転んで骨折するなどで入院が必要になった場合に、ワクチンが未接種の高齢者だと受け入れて貰えないんじゃないかと本当に気が気ではなかった。

お陰様でそういう大事には至らなかったけれど、高齢者に限らず世の中に広くワクチンが行き届いて打ちたい人が2回、3回と打った辺りから、姑は人と会う事自体を避けるようになった。
「私はワクチンを打っていないから、感染していてうつすといけないから」と。
こちらもワクチンを打っていない姑がコロナに感染したら大変な事になるという気持ちが働いて、気楽に訪ねて行き辛くなってしまった。
だから亡くなるまでの1年半くらいは冬だろうと、どしゃ降りの雨が降っていようと玄関のドアを開け放ち、玄関先で立ち話しをするくらいしかできなかった。
それでも、外で食事をする機会もあって、店が混んでいると本当にびくびくしたのも懐かしい思い出。

要するに、何事にも自分の意志や考えがしっかりとあって、嫁のいう事なんか何も聞かず、
最期までしっかりと自分の思うように生き抜いた。

姑が遺してくれた「エンディングノート」に
もしも認知症になったら年金の範囲内で入居できる施設に入れてください。
という一文があった。
自分が受給している年金の月額も記載されていて、分かり易かった。
こんなふうでボケるわけがない、とその時も思った。
そうならなくて本当に良かったけれど
もしも100歳まで生きていたとしても、やっぱりボケることはなかったと思う。

嫁の私が介護をせずに済んだことは有難くもあり、その一方で何もできなかったという後悔は本当に大きい。
全部が姑の思い通りになった。
その意志の強さに脱帽です。

でも、年をとったら子供のいう事を素直に聞く事が本当は大事なんよ(笑)

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