あの世には天国も地獄もないってホント⁉~「安心して死ぬために」を読んで

スピリチュアル

今日のお題は久しぶりにスピリチュアル。
目に見えない領域のお話です。

東京大学名誉教授、矢作直樹氏の著書「安心して死ぬために」を読みました。

矢作氏は医師として救急・集中医療に携わり多くの人の死と向き合うことで、死後の世界や魂の存在に興味をもたれたそう。

「死ぬことは心配いらない」と読者が思えるようになることを目的に書かれた本で、
私自身確かに心配無用ってことね、と実感できて不思議と心が安らぎました。

科学で説明できないコトも書かれていますが、「そんなこともあるかもしれない」という程度の捉え方をすれば、「幸せに生きるコツ」にも繋がるようです。

共感でき、心に留めておきたいと思ったことを抜粋してみました。
興味のある方はぜひ読んでみてください。

①この世はすべて、魂を成長させるためにある。修行というほど重たく考えなくてよい。
魂(運転手)は、最適な身体(車)を選んでこの世にくる。

②「死ぬこと」は特別なことでなく身近なこと。終わりではなく、元いたところに帰ること。
あの世へ帰る時はこの世の地位や財産は関係なし。手荷物なしで魂だけが帰る。

③この世から見ると自分がどう死ぬかは重大でも、あの世からみると家への帰り方にすぎない。ただ、人を殺してはいけない。自殺もよくない。

④「魂の成長」のために生まれ、自分で人生のテーマも決めているのだから、この世で起きることは全てお芝居の様なもの。どんな時も感謝できる心が育てば穏やかになれる。

⑤幸せに生きるとは、本当の自分に一致して生きるということ。それは我慢や努力でなく無心で取り組めること。小さい子供が遊んでいる姿と同じ。肩の力を抜いて無心になる(中今)。
無心になるとひらめきが得られる。それは神様との対話。

⑥この世とあの世は行ったり来たりするところ。あの世は特別なところではなく、死ねば誰でも戻るところ。

⑦どのように死んでも魂はあの世へ旅立つ。どのように死ぬかは大事の前の小事。
その小事を怖がるのは人をこの世につなぎとめるためのストッパー。寿命が来るその日までただ、中今を生きていく。それだけでいい。

⑧自分を試したい現実の「この世」にやって来る。繰り返しさまざまなテーマを設定してこの世に生まれてくる。全ては学びと気づき。

⑨あの世には、天国と地獄があるわけではなく、私たち自身の在り方そのものが場所を決める。似たもの同士が集まる。愛と調和に生き、毎日を感謝し、中今に生きる。その延長線上に天国がある。感謝の気持ちがあの世でのあり方を創る。

⑩どんな亡くなり方をしても前にいたあの世に戻るだけだから心配はいらない。
この世は競技場で私たちは頑張っている。あの世は観客席。競技場から観客席は見えないというからくりがある。
お迎えが来る迄、今を楽しんでまたあの世へ戻っていく。
(以上青文字は抜粋)

・・・とは言え、
死後の真実は誰にも分からない。証明する術もない。
だからどう考えるかはその人の自由だし、知りたくない人もいると思う。
・・・それでも、
家族や身近な人が亡くなると、仏壇に手を合わせて遺影に語りかけたり、お墓参りにも行く。
もし、死後は全てが無になるのなら、供養すること自体が無意味なことになってしまう。
だからあの世の存在を漠然と信じる気持ちは多くの人の心にあるのだと思う。

この本は私にとっては分かり易く、納得できる内容でした。
人生のテーマは自分で決めてきたと思えば、辛い時や苦しい時も受け入れるしかないと諦めがつく。先々への憂いも和らぐ。
死んだら誰もがあの世にかえって、よく似た人たちが集まる心地よい場所でゆっくり休めると思えば無駄に死を恐れずに済む。
視点を変えて、「あの世」側から「この世」を見るとするなら、
「あの世」は「この世」で、「この世」は「あの世」になるともいえる・・・(笑)

それにしても、私は残りの人生のシナリオをどんなふうに書いてきたのかしらん。
ここまでだって決して平坦な道のりではなかったわ(笑)
ぜーんぶ好きなように書き直したいと思う(笑)
あ、いや、
魂の成長のためにと私が書いたベストな物語を信じていればいいのか・・・(笑)

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