「生きる」とは 

スピリチュアル

夫が亡くなって以降、人は死んだらどうなるのか、どこに行くのだろうか
と考えるようになった。
そして関連する本を片っ端から読んだ。かなりの数だ。また後に「学ぶ」機会も得た。
結局のところ死後についての正解は誰にも分からないのだが自分なりに納得することはできた。
簡単にまとめると以下のように私は理解している。

勿論正解はないのでこれが必ず正しいというわけではない。

*人は元々は魂の存在である。生まれる時身体という肉体に入る。

*死ぬと魂は身体から離れる。身体は物質であるから荼毘にふされ無になる。

*一方で魂は元々の故郷(あの世)へ帰る。あの世は真綿の中にいるような温かく心地よい場所。精神的に満たされていて、何の不安感も寂しさもない。

ずうっと変わらず幸せと喜びと充足感で満たされている。この幸せがなくなったらどうしよう、などと不安になることもない。絶対にここは変わらないという事を魂は知っているから。
あの世は永遠に変わることは何もない場所「不変」であり、その逆で変わらないことがない「無常」である現世こそが幻想である。
人は年をとっていくし肉体は衰える。物質はどんなものでも経年劣化するし、お金の価値も変化する。化学もテクノロジーもあらゆる分野が日々進化し続けまた瞬く間により新しいものが生み出される。「この世」は無常、常(いつも同じ)であることは何もない。

*魂は触れるということができない、人としてあらゆることを感じたり、体験するために生まれてくる。魂は転生を繰り返すことが多い。

*人は全ての創造主「神」=「愛」の延長であり、延長である故元々は1つである
人は誰しも「愛」でできている。犯罪者でも家庭環境に恵まれなくて愛情をかけられず大人になろうとも、どんな人も変わらず「愛」でできている。正確には「愛」という部分を持っている。心臓の奥の方、胸腺の内側辺りに皆ちゃんと「愛」を持っている。
人はその愛で繋がっている。

*生まれてくるときにこの世での体験を決めてくる。おおまかにではなくかなり詳細に決めてくる。

諸説あるが「あの世」では同程度のレベルの魂で集まるらしい。今生での体験や経験により魂は成長する。その成長度合いにより「あの世」での行きつく先が異なるようだ。
考えてみれば「この世」でも同レベルの人が自ずと集まる仕組みになっている。
学校など学びの場然り、会社然り、趣味のサークルや地域のコミュニティなどでさえそうだ。
考え方や価値観の異なる人と一緒に過ごすことは双方ともが負担であり、結果離れていくことになる。

死=「あの世」へいくこと、だとすればそう恐れる必要はない。

反対に
生きるとは、ただしっかりと「この世」でしか体験できないことを精一杯味わい尽くす、それだけだと思う。

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