永代供養について思う~地獄の沙汰も金次第⁉ 

嫁の気持ち、姑の気持ち

ここのところ葬儀、お墓、お仏壇などに関する記事の投稿が多くなって、何だか辛気臭い・・・(笑)
でも私と同世代の知人・友人は大抵が親世代を送り出すような年齢になって、この先の自分自身の老後の暮らし方や、子供へ継承するあれこれについて具体的に考えるようなお年頃になってきたということだと思う。
そして、あらゆることを出来る限り簡素かつシンプルに、と考える人が増えているようで、モノだって断捨離してミニマリストに憧れる人も多い(笑)

色々な話をきくが皆一様に口を揃えて言う事は

「子供に迷惑をかけたくない」だ。

ホントそう、私も同感
そして「迷惑をかけたくない」というより、今時は長男か子供の内誰か一人が実家に残って「後を継ぐ、跡取り」という意識自体が失われてきた。いや、もうなくなったと言うべきか。

誰しも自分の思うように仕事に就き、仕事の都合で住む場所も決める。
或いは、リモートワークができるなら本当にどこで暮らすも自由。

要するに、子供を「生まれ育った場所」や「生まれ育った家」に縛り付けて置くわけにはいかないのだ。

都会で離れて暮らしている息子や、嫁いで遠方で暮らす娘に、ウチのお仏壇のことやお墓のことを頼むわけにはいかないよ。これが多くの親の気持ちだと思う。

戦時中、空襲から逃れる時にご先祖のお位牌を持って走って逃げたという話しを中学生の頃に聞いたのだが、それを凄く不思議に思って今も記憶に残っている。

空襲で自分が生きるか死ぬかという一大事に持って逃げるのがお位牌なの?
何か持って逃げるなら、お位牌より食べ物や水、自分が生き延びる方が大事なんじゃないの、という気がした。

でも「これだけは何としても守らねば」という強い気持ちの表れだったのだろう。
昔の人は、今よりうんとご先祖様を敬い大切に考える気持ちが強かったように思う。

現代では随分と事情が変わり「お墓やお仏壇を閉ざす」という選択肢も出てきた。
明治、大正、昭和の初め頃の生まれの人が現在のこの実情を知ったらどれほど驚かれるだろう。
「何てバチ当たりなことを!」
とね。

そして、その「バチが当たる」と感じる価値観こそが変わってきたのだと思う。

だって冷静に考えれば、自分のご先祖様が愛おしい子孫に罰を与えるようなこと、するわけない。

空襲で、お仏壇やお位牌が燃えてしまってもそれは仕方がないこと。
同様に継承できる人がいなければ、お墓やお仏壇を閉ざすことも仕方がないことでバチ当たりとは違う。

そして、永代供養が自分や家族の為に本当に必要なのか明確な答えはどこにもない。
あちらの世界のことは分からないから。
身内で供養できないなら永代供養はマスト、絶対に必要だと考えるなら
ちゃんと成仏できない人はいくらでもいることになる。
それってやっぱり、おかしい。
お金を払わないと成仏できないって、なんか変!

「こうであらねばならぬ」という思いはやっぱり何処か苦しい

そのくらいの余裕はあって、お寺に永代供養をお願いできれば遺された身内は気持ちが楽だろうし、確かに理想的な側面はある。
けれど本音では、永代供養は必ずしも必要ではないと私は思う。

供養をしていくことは故人、ご先祖との繋がりを大切に考えること。

遺された身内がどう故人と関わりたいのかという気持ちが全て。でも今、生きている人を優先に考えればいい、故人を大事にし過ぎてムリをするとか、生活に支障をきたすとか本末転倒では誰も嬉しくない、と思うから。
時々は思い出して偲ぶ、手を合わせたいという気持ちが自然と湧く、そうしたい時に線香をあげればそれで良いんじゃないかなぁと私は思う。

お墓もお仏壇も閉ざしたとしても、家の何処かに写真を飾って、お水と好物のお菓子でもお供えする。
そんなふうにしてもらえたら、私ならそれで十分嬉しい、と思う。

年忌にお経がなくても大丈夫。17回忌とか33回忌とか自分でもきっと忘れてるって(笑)

あ、でも時々は綺麗なお花を飾ってください。それからお菓子はいつもの贔屓のお店の美味しいものでお願いします(^^;

そのくらいで私は成仏できるんじゃないかと思う(笑)

そのうち、お気に入りの写真を決めておかなきゃね。ま、ちょっと早いか(笑)
義母もちゃんと良い写真がエンディングノートに挟んでありました。見習いたいわ♪

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最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^^)/

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