「姑の遺品整理は、迷惑です」を読みました

嫁の気持ち、姑の気持ち

垣谷美雨さんの小説「姑の遺品整理は、迷惑です」を読みました。
このストレートなタイトル、ホント好き!(笑)

主人公、望登子(もとこ)。独り暮らしの姑が亡くなって、3DKのアパートの片付けに行くところから物語は始まる。
モノの多さに四苦八苦する様子が描かれていて、高齢者の住む家はどこも同じようです・・・(^^;
途中あまりの大変さに業者の見積もりをとってみるけれど、100万近い金額に断念。
因みに望登子の夫に兄弟姉妹はいない。夫は姑と同じように「捨てられない」タイプでなかなか片付けははかどらない。
でも、片付けが終わるまで、3DKの家賃は払い続けなければならないというキビシイ現実。

望登子、かわいそう、気の毒過ぎる・・・とても他人事とは思えない(^^;

賃貸なら、一軒家よりずっと気楽でしょ、と思っていたけれど家賃が勿体ない分一軒家よりさらに「待ったなし!」の状況になるようで。
賃貸にせよ一軒家にせよ親の家が負の遺産に陥りやすいのはどちらも同じ・・・
郊外の一軒家は、立地良し、生活環境良し、物件良しでないと値段を下げても、下げても、なかなか売れないのが現状らしい。

独り暮らしをしていた私の姑は、葬式や法要の希望は詳細に書き残してくれていたけれど、遺品整理については、何一つ書いてなかった。
私たち嫁と孫が困らない様に、迷惑をかけないように色々と考え、手を尽くしてくれていたのに、そこに気持ちが向かなかったのは不思議・・・

家そのものも家財道具一式も、「誰かが使ってくれる」とか「誰か欲しい人にあげればいい」と思っていたような気がする。
でも、現実的には「使ってくれる人」も「欲しい人」もいない(^^;

かつては、家を丸ごと継承する長男の存在、家長制度があったけれど、今はもう違う。
親もそんなことを望まない。結果、家は世代毎に消耗して使いきるものに変わりつつある。
維持費にも、解体にも費用がかかって売却するのも苦労するとなると、本当にコスパが悪い。
精神的にもずっしりとくる・・・(^^;

小説のラストで、望登子は姑の日記を見つけ、お節介で世話好きだった姑の人柄を偲ぶシーンがある。
私も姑の日々のあれこれを綴ったノートを何冊も見つけた。
買い物で何を買ったとか、誰とどこに行ったとか、歯の治療のことなど日常の生活の様子が記録してある。嫁の私のことも書いてあって、「あの日のことだ!」とちゃんと記憶が蘇るから面白い(笑)
これは捨てられないと思ってウチに持ってきた。
読むと姑の暮らしぶりが目に浮かんで、今もあの家の炊事場で料理を作っているように思えてくる。
私には決して言わなかった弱音も書かれている。
聞かなくても察してはいたけれど、姑の筆跡を目の当たりにして心がざわざわする。

ノートの裏表紙に(法然院)と記されて一文。

逝った人とのいい思い出だけが残ること、それを成仏という。

姑は誰のことを思ってこの言葉を書いたのだろう・・・

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