前回のブログに続き永代供養について。え?まだ書く?我ながら呆れてます(^^;
信心深いとか信仰心がアツいわけでは決してない。極フツーです・・・
結局、供養とは「する側の気持ちの表れ」だから杓子定規にルール通りにはいかないのだと思う。
だから色々とおかしいな、何か変だな、と感じることだってある。
今年1月に91歳で義母が亡くなったが本人の希望は、「お寺で永代供養としてください」ということだった。
10年前に亡くなった義父についても義母の希望は、「今後は二人一緒にお寺で永代供養としてください」ということだった。
そう書き残してあったのでハイ、分かりましたと素直に従う嫁の私。
希望の通りお寺に申し込みをし、義母が予め準備してくれていたお布施を納めた。
永代供養の費用は一律で決まっている。
義父は10年前に亡くなったのでもう、七回忌まで済ませている。
四十九日、百箇日、一周忌、三回忌、七回忌と済ませてきたということ。
だからといって、ちょっとお値打ちになるというわけでは勿論ない(笑)
今後は十七回忌とか三十三回忌は法要をお願いしなくてもよいし、毎年命日には読経していただけるということになる。本当に有難いことだと思う。
でも、義母はまだ亡くなって間がないのでお寺でお任せしっぱなしでは、どうにも落ち着かないし、そういう訳にもいかない気がして。
永代供養を申し込んで以降も四十九日と百箇日は私もお寺に出向いた。
特に四十九日はお墓に納骨もするのだからね。
となると、やっぱりお布施は必要です・・・(^^;住職には「もう永代供養だから、お気持ちで結構ですよ」と言っていただいたが、「お気持ち」の相場が分からず困ってしまう・・・「四十九日のお気持ち」の相場はいくらなの?(笑)
今後も一周忌、三回忌までは結局義父の時と同じように、親戚にお声掛けをしてお参りしていただくほうがやっぱり自然かなと思っている。義母の弟妹の気持ちを察すればそれがいいような気がする。
本人の希望で永代供養だからお位牌はお寺にしかないし、もうこれ以降はお墓参りにでも行ってくださいね~、とは言えません。嫁ですから。
因みに私の夫は亡くなって20年以上が経っているので、十七回忌の法要まで済んでいる。
これ以降、永代供養を申し込もうという気持ちはない。全然ない。
三十三回忌はあと10年ちょっとだから私ができると思うし。
仮にもし、何もしなかったとしても、だからといってどうなるものでもないと思う。
三十三回忌ってホントに必要なの?
というくらいの気持ちに既になっている(笑)
やっぱり、年月とともにこちらの気持ちは落ち着いていくし、日頃、家のお仏壇で手を合わせているのだからもうそれで十分、と思えてくる。
そう!永代供養とは本人のためのものであるようで、最終的には遺された身内がどう供養したいか、どう考えるかによって変わってくると私は思う。
だから、費用を払ったから「ハイ、以上。お終い!」ってのもちょっと違う気がする。
もう、すぐにお盆がくる。この辺りは7月盆だ。宗派は曹洞宗だがお盆の供養は特別大切と教えられてきた。お盆の間は、故人が家に帰って来られると考えるのでお仏壇は閉じて盆棚を用意し、そこにお位牌を祀るということも初めて知ったし、ご先祖様をお迎えする為の「五色旗」というものも初めて見た。
今年は義母は初盆だから何もしないわけにはいかないし、お盆のお経も当然お布施は必要。
義母は初盆だからマストでしょ、で、夫の分については毎年欠かさず申し込んでいる。
夫の三十三回忌はもうどっちでもいいんじゃない?と思うのに何故だかお盆はちゃんとしないとね!と思ってしまう。我ながら不思議・・・習慣なのかしらん?
で義父は永代供養だから今年からお盆は「ま、いっか」と思っている(笑)
ほらね、なんだか、なあんか、コレ、おかしいでしょう?ふふふふふー。
何基準で決めてるの?って。そこには規則性とか明確なルールなんてやっぱりない。
要は供養する側の「気持ち」だから。
でも、多分そうすると思うんだよね。私。
義父のお盆は今年から「ま、いっか」(笑)です。
私が決める供養の仕方をきっと「うん、それでいいよ」と夫も義父母も思ってくれているだろうから。
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