姑とのお別れ

嫁の気持ち、姑の気持ち

先日姑が亡くなった。
本人の望む通り、長患いをすることも、痴呆でぼけることもなく、自宅での最期となった。

私の夫も夫の弟も、つまり息子は二人とも早くに亡くなり、10年前には舅も亡くなってそれ以降、姑は一人暮らしをしていた。

誰にも迷惑をかけたくないの

というのが会う度の口癖で、90歳を過ぎて尚、介護の認定を受けることさえ断固拒んだ。
お陰様で認知症にもならず、特別病気もなく、自分の身の回りのことは勿論、買い物から食事の支度、家事全般、歯医者や眼科への通院や予約まで全て一人でやりきった。

それでも、この1年くらいは足腰が弱り、色々なことが面倒に、億劫になってきたと言うようになっていたが、本当に最期のその日までやり抜き、立派だったとしか言いようがない。

嫁である私と義理の妹や姑の弟妹、ご近所の方々がそれぞれできる範囲で姑のことを気にかけ、見守る中での一人暮らしであった。
寂しい時も、誰かを頼りたい時も、心細く思うこともあったに違いない。それでも、一度も不満や愚痴を聞いたことはない。

葬儀では私が喪主を務めた。
長男の嫁としてそれは私の役割だと、ずっと心に留めてきたことだった。
かねてから姑が望んだように家族、近親者だけでお通夜と葬儀を行った。

無事に葬儀を終えて、姑の遺骨と白木のお位牌は私の自宅に連れて帰った。
一人で暮らした家には無論、もう誰もいないので。
夫の仏壇の側に祭壇を設えそこに祀った。

亡くなるその日も買い物に出かけ、姑は精一杯日々の暮らしをしていた。

正直もっと私にできることはあったはずだ、という後悔が大きい。

でもいくら後悔してもどうしようもなく、その後悔とは自分の中の罪悪感でもあると思う。

もっともっと会いにいけば良かった。もっと電話をかければ良かったと悔やまれる。

年末に混雑するスーパーに買い物に一緒にいったのが最後になった。その時もいつもみたいにたくさんおしゃべりをした。でも、もうこれが最後になることが分かっているかのように私に色々と言い残した。
それを聞く私自身にも、もしかしたら本当にそうなるかもしれないという予感はどこかにあった。

お正月は自宅を訪れて、何度もチャイムを押して外で待っていても姑は出てこなかった。
電話も繋がらず、ようやく翌々日に電話が繋がってホッとしたけれど、今までとはもうはっきりと何かが違うと感じた。
自分のペースだけで生活しているようで、何も構わず眠たい時は好きなだけ寝ている様子だった。
だから出てもこられなかったのだが、何より気力がない感じがした。

祭壇の花はとても綺麗で華やかだった、喜んでくれたと思う

同居して痴呆の親に悩まされる、という気持ちもよくよく理解できるが
苦労が大きければ大きいほど、送り出した時は安堵すると思う。
やりきった、という気持ちにもなると思う。

それとは逆であまりにもあっけなくて
何もしてやれなかった、もっと会いにいけば良かった、もっと話を聞けばよかった
という後悔ばかりが今大きくて悔やまれる。

姑の祭壇が家にあり、ここで供養できることがせめて慰めになる。
線香をあげ、手を合わせる毎に、これから少しずつ少しずつ心が落ち着いていくと思う。

夫が亡くなった時でさえそうだったから。

四十九日までは、日々のお供えもできるだけきちんとしよう。

とかいいつつ、昨日、今日と二日間連続でパスタをお供えした(笑)
通夜、葬儀のばたばたで買い物にもう何日も行ってなかったからごめんね。

姑は驚いているだろう。とても料理上手だったから。

初めて同居したような気分。なるべく美味しい食事を作ってお供えしようと思っている。

ブログどころではない日が暫く続いていて、久しぶりに何か書こうと思っても
今心の中にあるのは姑のことで一杯で他には何も湧いてこない。
だから姑のことを書いた。

会って帰る時も、電話をかけた時も、いつでも私への最後の言葉はきまって「ありがとう」だった。
それはただ口先だけで言うのではなくて、いつも姑の心がこもった言葉だった。

こちらこそ、本当にありがとうございました。

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