夫が早くに亡くなったこともあってか、平均寿命くらいの方が亡くなることは当たり前の事で、それは誰でも受け入れられる事だと思っていた。
どなたかの身内が亡くなったと聞いても、「それは、寂しくなりましたね、大変でしたね」と言葉をかけて実際本当にそう思うけれど、それなりの年齢ならば、ちょっと早いか遅いかだけで皆誰でも順番に逝く、という気持ちが私の中にはあった。
逆縁の不幸程辛いものはないし、家族のショックや悲しみも計り知れない。
だから、それと比べれば、順番に逝く事は仕方がない事、当たり前の事と思っていた。
でも、先月姑が亡くなって、それも91歳の大往生だったのに、毎日本当に寂しいし喪失感もかなりのもの。
もう、話ができないのか、何も言ってくれないのか、顔も見られないのか、そう思うとがっかりしてしまう。
将来息子が結婚したとして、私が亡くなったら息子のお嫁さんは寂しがってくれるかしら?
ふとそんなことを思ってみたけれど、絶対無理かも(^^;って思えてくる(笑)
そう思うと私達の嫁、姑としての関係は結構良かったんだなぁと分かる。
結婚して最初の頃は「良いお嫁さんと思ってもらえるように頑張る!」という気持ちから意欲はあったけれど、緊張感もそれなりに強かった。
何よりお互いまだ気心が知れていないのだから。
悪い人ではない、意地悪でもない、でもなんか価値観が違う、何かが違う、違っているからやっぱりちょっと疲れる・・・という感情が私にはあった。
私がそう感じていたのだから、姑の方でもそうだったと思う。
でも、そんなふうに思っていることは勿論お互い絶対言えない、良い関係を築かねば!と思っているから本音は隠して遠慮しまくる。気を使いまくる。
本当はそれが間違いで、その結果気疲れだけ残る。
同居ではなかったが、市内のほど近い所で暮らしていた為、何かにつけて関わりは勿論あるし、その後息子が生まれてからの孫可愛さからのあれこれは凄かった。
だから、ほどほどに距離を保つなんてことは難しかった。
正直、しんどいなと思う事もあった。
あったどころか、めちゃくちゃあったなぁ(笑)
それなのに今はこんなに寂しい。あと1回でもいいから頼むから出て来て!と思っている(笑)
変われば変わるものね。
結局、嫁、姑になっていきなり良い関係が築けるなんてことはあり得ない、と思う。
どういう組み合わせだとしても。
ちょっとずつ理解して、お互いのことを分かって、良い所、好きな所だけでなく自分と違う所もちゃんとしっかり見つめて、徐々に相手の人となりを知る。
やがていつの間にかうまく付き合う「コツ」を掴む。
そしてまたいつの間にかその「コツ」さえ必要なくなっていく。
そうすると、不思議と思ったことをちゃんと伝えられるようになって楽になるし、考え方も自然と似てくる。
そうしてようやく本当に「家族」になるんだと思う。ここ迄誰でも年月がかかる。
夫はそんな様子を少しも知らないうちに亡くなった。
でも、私ならきっと大丈夫だと初めから思っていたと思う。
私の姑さんはこの人で本当に良かった。
そう思うようになったのはいつ頃からだろう。
ここ10年くらいかもしれない。
通夜の日の昼間、棺に入れてもらう前に、身体を綺麗にしてもらって髪もふんわりと整えてもらった。すると表情が見違えるようにとても穏やかになった。義理の妹と二人で最後にお化粧を施した。派手な事は好まず、化粧もほとんど何もしない人だったから、自然なメイクに仕上げた。二人の嫁が選んだ服を着て、いつものように微笑んでいるみたいだった。
きっとこれで満足してくれているなぁとその時分かった。
こうしてちゃんと送り出せて良かった。
姑も本当はまだ色々私とお喋りをしたいと思う。私に話したいことは色々あったと思う。
でもあちらの世界には聞いてくれる人は沢山いる。
一番仲が良かった友人、よく買い物に行った店の主さん、それに家族みんなあちらにいる。
だからこれからは、皆に聞いてもらえるね。
私はまだまだこれからこちらでやることがあるからね!
会いたいからって呼びに来ないでね(笑)
でも、またいつか逢ってお喋りしようね。
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