なんだかなぁ、心がモヤーっとする。
このモヤモヤの正体はなんでしょう?
・・・(^^;
前回ブログの締めくくり。
「良いご縁が繋がりますように」と書いた私。
つまり平たく言い変えれば、親の空き家を買ってくれる人がみつかるといいなぁ、ってコト。
でも!それは私の本当の気持ちとはズレているような気がして(^^;
親の家を二束三文で売りに出すことにどうにも抵抗がある私。
維持していくだけの余裕は到底ないから仕方がないのだけれど。
家を建てた当時のいきさつや引っ越しの日のことも、生前、姑からは何度も聞かされて、まるで私自身も見てきたかのように知っている(笑)
通算でなら100回近く聞いたかもしれない、それだけ家に対する思い入れが強いってコトだと思う。
結婚後、舅と姑は姑が先生だったので教員住宅で暮らしていた。
やがて長男(私の夫)が生まれて1歳になる頃、土地を買い家を建てた。
ところが数年が経った頃、そこに道路が通るのでいずれ立ち退きになるという話になった。
小学校の途中で転校させるのは子供が可哀想だということで、大慌てで市内の別の場所に土地を買いもう1軒家を建てることになった。
子供のためにと舅も姑も必死で素早く対応したのだと思う。
結局、立ち退きの話は頓挫して家はそのまま残ることになるのだけれど、この立ち退き話の一件は後々この家の嫁、姑問題に大きく関わることになった(笑)
そのまま残った家は、やがてリフォームされて夫と私の結婚後の新居となるのだから(^^;
ことの展開にどこか運命のいたずら、を感じるのは私だけ?(笑)
さて話は昭和50年頃に戻ります。大急ぎで新しい家を建てることに決めた舅と姑。
遠方から通う大工さんには少しでも工期が短くなるようにと、工事の期間中は自宅に泊まってもらっていたらしい・・・(^^;
我が子可愛さとはいえ、俄かには信じがたいエピソードだと思う(笑)
そして計画通りに、私の夫が小学校に入学する間際の3月末に新居が完成した。
「大工さんからは、塗り壁がまだ乾いていないから家具は離して置くように言われて、出来立てホヤホヤの家に引っ越してきたんだから」
と思い出を語る姑の表情はいつもイキイキとしていた。
「ほら、そこの茶箪笥も、本棚もみーんな壁から離して置いていたんだから」
とお決まりの話は続く。
所得倍増の高度経済成長期のこと、とはいえ夫婦が必死に共働きで働いて2軒の家を建てたことを思う時、それをカンタンに二束三文で売りにだすことはどうにも忍びない。
姑の語りが今も頭にこびりついて離れない。
激安プライスがイヤなワケじゃない。
本当はこんなふうに、処分したくない!夫か夫の弟が受け継いで納得いくようにしてもらえたらどんなに良かっただろう。舅も姑も安心できただろうに。
そんな気持ちが私の心のモヤモヤの正体。
夫も夫の弟も早く亡くなり、揃って逆縁の親不孝・・・今さらどうしようもないことだけれど、思わずにはいられない長男の嫁です・・・
この家が建っておよそ50年。
不動産屋さん曰く
築年数のわりには、まだ、しっかりしています、と。
そう言われてどこか嬉しいような、誇らしいような気持ちになったのは、
舅と姑の生き様を認めてもらったような気がしたからだと思う。
えっとー・・・、別にだからといって
現状、他にどうすることもできないわけで・・・
買い手が見つからないと、実際困るわけで・・・
このモヤモヤは嫁の一時のセンチメンタルってヤツだから、
食べて、眠って、シゴトして日常の中でやり過ごしていくしかないの、きっと。
うん。
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