ラッキー(パピヨン17歳)がお空に帰っていって、ひと月余り。
今朝、目覚めて頭に浮かんだことは、ラッキーのことではなく朝食を作る手順。
ふと、そんな自分に気づいて驚く。
多くの飼い主さんは朝目が覚めると、何はさておき、まずはわんこの様子を気にかけるもの。
ウチの子、夜、大丈夫だったかしら・・・と。
わんこが高齢なら、尚さら色々と心配なアレコレがあるハズだから・・・(^^;
わんこを心配しながら目覚めるのが日課となって沁み付いていたので、その習慣はなかなか抜けないままで。
「あぁ、もういないんだった」と思って、心がスーッと冷たくなる朝を繰り返していたのに、
今朝は朝食のことを考えていた私(^^;
ラッキーがいない生活を少しずつ受け入れています。
今年の1月には姑とのお別れもあって、91歳の大往生だったとはいっても、介護の苦労がなかった分、余計に寂しくて未だ心残りもある。
昨年の年末最後に会った時に「お別れの時はそう遠くないかも」と感じて覚悟をしたのに、いざ現実となると、もう話もできないことは想像以上に寂しくて、張り合いを失った気がした。
12月に入ると姑は必ず「お正月のことだけど・・・」と電話をかけてきた。
師走からお正月、姑はいつも張り切っていたっけ・・・
「張り切っていた」という表現がピッタリで、電話の声はいつも弾んでいた。
お正月が来る高揚感と皆が集まって食卓を囲むことをとても楽しみにしていたから。
玄関飾りと鏡餅、お雑煮のお餅は亡くなるその年まで姑がウチの分も用意してくれていた。
91歳の姑が嫁の家の玄関飾りとお餅まで買いに行く、そんなコトって・・・フツウある?
日本全国探しても、そんなウチってないんじゃないの?と思う(笑)
でもそれは、私が夫と結婚した年のお正月から慣例となって、10年前に舅が亡くなってからも姑は一人で用意し続けてくれた。
ここ何年かは高齢となった姑への気遣いから、師走に入る頃やんわりと断っていたのだけれど、ついに最後の年まで聞き入れてもらえなかった(^^;
姑の胸の内は聞かなくてもよく分かる。
「嫁のあなた一人に長いこと苦労をかけてしまって。息子が早く亡くなったばっかりに本当にすまないね」と。
嫁を少しでも助けてあげたい、できることはしてあげたい、という姑の気持は、固い信念となって最後の年まで変わらず続いた。
お正月の玄関飾りは、好みのものを選びたいし「そのくらい自分で用意するよ」が嫁の私の本音。
でも、毎年姑から手渡されるお飾りは、渋目のゴツいタイプのもので、お洒落感・素敵感はゼロ(^^;
結婚当初のまだ若い頃は、「もう、ほっといてよ~」という本音を隠して、愛想笑いをするのが精一杯だったなぁ・・・
さて、今年もあと3日。姑が亡くなって初めてのお正月。
今年は喪中だから、玄関飾りは用意しないけれど、生の杵つき餅を買ってみた。
50代も半ばを過ぎて初めて自分でお雑煮用のお餅を買う・・・(^^;
コレって一体どんな奇跡?ずっと箱入り嫁だったってコトね、と我ながら呆れてしまう(笑)お餅だけじゃなくて、お正月の食材もぜ~んぶ自分で用意する、当たり前のことなのにそれが初めてという現実は、情けないようで、恥ずかしくもあり(笑)
これまでずうっとお正月の度に、どれ程嫁の私と息子の為に心を砕いて、あれもこれもと用意してくれたかと思うと、舅と姑、二人への純粋な感謝の気持ちが湧いてくる。
なんで、生きているうちに、もっとありがとうを伝えられへんかったんやろ・・・悲
だから、来年も「嫁の気持ち、姑の気持ち」をたくさん投稿をして姑への感謝を伝えようっと!(笑)
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今年1年、たくさんの方にご訪問いただきまして、ありがとうございました(^^)/