姑の本当の優しさを知った日の思い出

嫁の気持ち、姑の気持ち

ここ最近何度も姑のことを書いたが、こうして姑との思い出を文章にできるのは
やっぱり、姑が亡くなったからだと思う。
亡くなるまでは姑のことは書けなかった。

姑はスマートフォンもパソコンも持っていなくて、インターネットのことは何一つ知らなかったから、このブログを見ることは100%ないだろう、とは思っても、姑が生きているうちに書くのは、どうにも憚(はばか)られた。

やっぱり、勝手に書くのは、ちょっとね、という気持ちが私にはどうも働くのだ(^^;
そして、姑は、おいそれとは書けないような、どこか「ピリッと」した感じのある人だったから。

でも、亡くなった人のことを書くのは、それが「供養」になる。
書けば、色々と思い出と向き合うことになる。

故人を思い出し、偲ぶことが「供養」なんだから、私は今なお、案外いい嫁かもねー(笑)

「いい嫁」には、「いい姑」、ちゃんと釣り合いがとれている、知らんけど・・・(^^;

けれど、冗談ぬきで、姑は、優しく、人間味溢れる人だった。
お、今日はやけに褒める(笑)

価値観は違うし、そりゃあもう、嫁にきてから、姑が亡くなるまでのこの25年間には超絶いろいろなことがあったし、驚いたことや、受け入れられないことや、合わせるのに疲れたり、苦しかったこと、悔しかったこと、うんざりすること、怒りに震えたことすらありました。
あった、あった、義理の仲なんだから当たり前。

でも、過ぎてみれば、どれもいい思い出。私も至らないところはたくさんありました。
そして、忘れられない濃い思い出になっている。

今日はイイ話の方で一つ書いて、供養としましょう(笑)南無阿弥陀仏・・・

私が姑を心から「できた人だ、尊敬します、ありがとう」と思ったエピソード。

私の実母は、姑よりちょうど10歳若い。
当時、姑は90歳で母は80歳。随分違う。
90歳の姑はボケなし、記憶力もばっちりで、頭はシャキッとしていた。家事一切何でも自分でできた。

因みに、コロナの一律給付金支給の時だって、一人で、さささっと手続きをしていた。
「おかあさん、申請手続きできる?大丈夫?」なんて聞いたら叱られます(^^;

でも、私の実母は認知症になってしまった。
自分より10歳も若い嫁の母親がボケてしまったことを知った姑は、とてもショックを受けて、悲しがり、心配してくれた。
会う度に「おかあさんは、どうなの?」と気にかけてくれるほどだった。

そして、姑と私が最後に顔を合わせた日も
「お母さんのことを、大事にしてあげてね、本当に、大事にしてあげてね」
と、何度も言い遺した。

「ウチの嫁なんだから、実家のお母さんより、私のことを大事にしなさいよ、ちゃんと看取りなさいよ」
と、口に出して言わないにしても、腹の中ではそう思っても不思議はないと思っていたのに、姑は違った。
90歳を過ぎて一人暮らしで、これから自分だって、どうなるとも分からないのに、最後まで私の母のことを気にかけてくれて「お母さんを大事にしてあげて」と言ってくれた。
それが、姑の本心だということくらい、長い付き合いで分かるのだ。
じーーーん。何て優しいの・・・涙。

姑は、誰にも迷惑をかけたくない、最後まで一人で暮らして、トン、コロッと死にたいと言って、本当にそうなってしまった。

だから、姑に何もしてあげられなかったことが、私は余計に悔やまれる。

本当に、優しい人だったなぁ。

姑のいい話はたくさんある。そりゃあ、バトルもたくさんあったけれど、ね。

よおし!やっぱりこれからも姑のネタをばりばり書こう(笑)
これ以上の供養はない・・・ハズ、だよね(^^)/

にほんブログ村 家族ブログ 舅・姑・小姑へ
にほんブログ村

応援クリック励みになります♪いつもありがとうございます(^^)/

タイトルとURLをコピーしました