二世帯住宅を建てると言われた時、嫁の本音は⁉

嫁の気持ち、姑の気持ち

お題とはちょっと離れるようだけど、舅が夢に出てきたことだし、今日の入りはまず、もう少し前々回ブログの続きから(笑)
姑からお小遣いを渡され、舅に空港まで送ってもらって新婚旅行に行った26年も前のエピソーね・・・(^^;

私にとっては、赤っ恥なエピソード(笑)
出産直後に、一刻も早く孫の顔見たさから、舅と姑が分娩室にまで入ってきた驚愕のエピソードもあったけれど、私には、それに匹敵するくらいの忘れられない強烈な思い出。

結婚してすぐ、新婚旅行に行くその日に、これから舅と姑との関わりは、猛烈に濃いものになるんだろうという確かな予感が私の中に生まれました(笑)

でも、お小遣い貰えてラッキーじゃん!美味しいものでも食べて楽しく使えばいいじゃん!という意見もあるでしょうよ、ねー。
でも、ちょーっと想像してみてほしい。

夫の両親や私の実家に買ったお土産だけでなく、夫が職場に持って行ったお菓子までもが、それはぜ~んぶ、お金の出所は、夫の親・・・(^^;という事実。

なんか、可笑しいっしょ。そんな人いないって!
何を買ったのかはもう全く覚えていないけれど、「ありがとう」って笑顔で喜ばれても・・・
なんだか、私、情けなくて、せつなかった。

さて、ここからが今日の本題。

一見ラクかもしれないけれど、そんなふうに、何でもやってもらうほどに、自分の意図しないところで、グングン結びつきが強くなって、束縛されているように感じてしまった私。
だから、逆らうことはおろか、ちゃんと自分の意見や考えを伝えることもできなくなっていった。
そして本音が言えないと、結局はそれが負の連鎖を引き寄せる。
お互い相手の気持ちがしっかり分からないから、ギクシャクしていくことになる・・・

舅と姑は、長男である夫への期待が大きかった。
そしてそれは、そのまま嫁の私への期待となり、私たちが結婚した当初から、いずれは二世帯住宅を建てて、同居しましょうね!という強い願望になった。
願望っていうより、いつの間にか決められた計画が出来上がっていた・・・
「そのうち、ここを二世帯に」という話題が出る度に、イヤとも言えず私はびくびく、オドオドするハメになった(^^;
近居で別に暮らしているとはいっても、私たち夫婦の住まいは舅所有の家をリフォームしてもらった家なのだから、その家を今度は二世帯住宅にすると言われても、口出しできる立場になかったし、何も思い通りにはできない。
く・く・苦しい・・・(^^;

もしも、夫がずっと生きていて、二世帯住宅での同居が実現していたら、ドラマの「ダブル・キッチン」みたいに嫁、姑の火花が散っていたかしらん?
それとも、表面は取り繕う冷ややかな冷戦だったかしらん?
どっちにしても、楽しくはなさそう・・・うわあ(^^;

今思えば、当時の私には夫の親への愛が足りなかったんだと思う。足りなかったというか、育っていなかった。

息子夫婦への溢れるような愛情、と同じにくらいに親を大切に思う気持ちが、当時嫁に来たばかりの若い私にはなかったんだと思う。
気持ちが追い付いていないのに、二世帯住宅という立派なハコだけ出来上がったとしても、きっと上手くいかなかったと思う。ダブルキッチンで食事は別です、とか、共有スペースがどうであっても、気持ちが離れているのに、距離だけ近くては、シンドイことがたくさん起こったと思う。お互いにね。

夫が早く亡くなって、息子夫婦と同居という二人の夢が叶うことはなく、ずっと近居のままだったけれど、やがて10年、15年、20年と経つうちに
姑を「おかあさん」と呼ぶとき、自然に本当の親だと思えるようになっていった。

お喋りをして笑い合えることを楽しいと思うようになった頃、大抵のことは分かり合えるようになった。(ここに辿り着くまでの色々な艱難辛苦は今日は省略!)

夫が亡くなってからも、二人は変わらず、私にいつも優しい言葉をかけてくれた。
それは、先々自分たちの面倒をみてほしい、と見返りを期待するようなものではなく、嫁への純粋な愛情だった。

与えたものが受け取るもの、愛はちゃんと循環するんだね。

ん?それなら、二世帯住宅ダブル・キッチンだったとしても最後は上手くいったのかなぁ・・・想像するだけでゾクゾクするわ(笑)

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