舅、姑の「アポなし訪問」の対策としては、先にこちらから訪ねて行く、コレに尽きると思う。ただし、これは単純に、アポなしで来られるのがイヤというだけで、顔を合わせるのもムリ、会いたくないというケースではどうしようもない。私はお陰様で毛嫌いしていたわけではない。まぁ、それでも毎度ドキドキして、作り笑いはしていたけどね(笑)おほほー(^_-)
ウチの場合は舅宅は市内にあり、車で20分程の距離。
直ぐ近く!ではないけれど、遠い!というほどではない、何とも微妙な距離感(笑)
思い立てば、いつでもすぐ会いに行ける距離ってところが・・・
嫁の悩みを生みだしていた(笑)
今だから笑えるだけ(^^;
近いからといっても、私は必ず行く前に電話をしてから訪ねた。
親しき中にも礼儀あり、っしょ。
不意討ちはダメ、絶対。私はそう考えていた。
舅が先に亡くなって、姑が一人暮らしとなり、やがて姑の晩年、亡くなる前の最後の半年くらいは電話も繋がりにくくなった。
その頃はやむを得ず連絡がつかないままでも訪ねたけれど、姑は入れ歯を外していて話しにくそうだったり、チャイムを押すと「はーい」と返事が聞こえても、「ちょっと待って」と言ったきり長い間ずーっと出てこれないこともあった。
そうそう、誰だってこうなりがちだし、突然来られるのは困るのよ、ホント。
姑だって、電話をして何時ごろ嫁が来る、と分かっていた方がいいに決まっているのだ。それなのに、なぜ自分たちはそうしなかったのかは謎・・・今や、もう永遠に謎のままだ(笑)
「大抵、分かっているからいいでしょう、家族なんだし」と言ってそう。
イヤです!←嫁を代表して言い切る(笑)
さて話が逸れました。
この「こちらから訪ねる」で「アポなし訪問」は多少なりとも回避できたのか?
効果はあったのか?が重要だけれど・・・
答えは・・・NO!
ウチの場合はダメだったけれど、一般的には効果があるのでは?と思う。そもそも何かと会う頻度が高い上に、私の息子が生まれた頃、孫への溺愛ぶりはフツウではなく、たまにちょっと顔を見せればそれで納得、というレベルとは全然違った。孫命・・・(^^;
他にも、何か食品など届けたいものがあるようだとして、「私が取りに行きます!」
と電話で言ったとしても、舅が「持ってっちゃるでええわ」と言えば、もうそれに逆らうことは不可能だった(^^;
とにかくこの舅のフットワークが軽い。
何でも「やっちゃる、やっちゃらないかん」と思うタイプの人だった。
そして言い出したら聞かない。超ワンマン。
他に対策としては「今度から、出る時に電話をしてもらえませんか?」とお願いしてみる。
思っているだけでなく、ストレートに頼んでみれば、すんなり分かって貰えるケースだってあると思う。
ただこれも、私は全然ムリだった(-_-;)
そもそも言い出すことができなかった。そんな勇気がなかった。
もし、言ったとしても、「おらなおらんで、また行くでえーわ、電話みたいせんでも、たわけらしー」となったと思う。展開が透けてみえる・・・
けど!今思えば、勇気を出して言ってみれば良かったと後悔している。
舅が先に亡くなって車の運転ができない姑は、もう自由に来られないので自然と私が出向くようになった。
すると姑は必ず私にこう言うようになった。
「じゃあ、またいつでもいいから取りに来てね。来る時は、電話をしてから来てちょうだいね」
え?・・・(-_-;)
私もそう言いたかったんだってば!
私には「アポなし訪問」に立ち向かう有効な対策、手立ては何もなく、ただ、じっと「こういうものだ」と時が過ぎるのを待つだけだった。それでも、息子の成長と共に「アポなし訪問」も少しずつ変わっていったのだが、長かったなぁ・・・
舅も、姑も亡くなって、もう「嫁」は卒業したけれど当時を思い出すと「いい嫁」であり続けるためとはいえ、何を頑張っていたのだろうと馬鹿馬鹿しく思えてしまう。
長い付き合いの中で、「人となり」は徐々に理解し合えるし、そんなに気負わなくても大丈夫、フツーで大丈夫、頑張らなくて大丈夫、ってのが今の私の結論。
「嫁」を卒業してから、ようやくそう気づけるだけで、その時はそんなふうには思えないものなのよねー。気づきとは、経験を通して得られるものなのね、ふふふー。
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