フジテレビ、ドラマ「silent」いよいよ大詰めです。
連ドラって一般的には最終回の前の回が一番大きな展開があったり、盛り上がりをみせるものだと思う。
でもsilent10話は「想」の耳のハンディが原因で二人が抱くそれぞれの苦悩が描かれた。
だから、とてもせつなくて悲しい回となった。
「紬」がキッチンで洗い物をしている所を「想」が「紬」のポニーテールを触ってからかうシーン。
洗い物で「紬」の両手は塞がっているので勿論手話はできない。
口の動きだけでは「紬」が何と言っているのか「想」には全く理解できない。
それは「想」にとっては当然の現実だが当たり前のコミュニケーションができないことはやはりとても辛くて悲しいことだった。
言葉にしなくてもそんな「想」の気持ちは自ずと「紬」にも伝わる。
でもこの現実を誰もどうすることもできないのだった。
二人が並んで歩くシーン。
「紬」から手を繋いだ。
でも「想」はその手を放してしまう。
「手話しにくいから」って言って。
でもそう伝えてから「想」の手はポケットに突っ込まれたままになった。
繋げない、繋いじゃいけない、そんな「想」の苦しみが伝わってくるシーンだった。
「紬」の元カレで「想」の親友「湊斗」君も二人の様子を心配する。
耳が聞こえないこと以外は何も変わってない、って言ってくれたけど
変わったことが大きすぎて。
それが「想」の今の思いだった。
10話のラストではとうとう「想」の本音が「紬」に伝えられた。
一緒にいるほど、好きになるほど辛かった。
声が聞きたい・・・もう聞けないなら、また好きにならなきゃ良かった。
どれだけ好きで一緒にいたいと思っても、まさに自分の存在そのものが相手を苦しめることになると分かれば「もう会わない」という選択をするしかないだろうと思う。普通は。
そしてその好きな人のことを大切に思うからこそ、これ以上苦しめるわけにはいかない、と考える。結論はそれしかない様な気がする。今のところは。
相手を苦しめる存在にはならずに、一緒にいる。
そんなことできる?
「好き」という感情があるから「相手の事をもっと知りたい、全部知りたい、いつも一緒にいたい」と思うのだ。それが恋だから。
でも「全部知ることは叶わない」「声が聞けない、伝えられない、受け取れない」
だから苦しい。好きだから、好きになった分だけ余計に苦しい。
やっぱりどうすることもできない、というところで10話はエンディング。
手話の先生のセリフがとても印象的だった。
言葉の意味を理解することと、相手の思いが分かるってことは違った。
伝えたいとか、受け取ろうっていう気持ちがあるかどうかだと思う。
要するに先生は「受け取ろうって気持ちがあれば理解できるんだ」と言いたいのだ。
これが最終回の展開のキーワードにならないかなぁ、って期待。
先日タイムリーにもsilentの脚本家、生方美久さん、このドラマのプロデューサー、監督と三人の方が対談をしているテレビ番組を偶然みた。
その中で脚本家の生方美久さんが
「日本語の理解できる方に観てもらいたい」という趣旨の話しをしておられたのが心に残った。
英語や他の言語のネイティブスピーカーの方がこのドラマのセリフの意味を理解するに留まることと、セリフに込められた想いまで分かり、その想いに感じ入ることは別という意味なんだろうと思った。
日本語でしか表現しえないニュアンスというものはあると思う。
「湊斗」君は何に幸せ感じるの? 「紬」の弟が問う。
この前大きい花束かかえた人 電車でみて それかな。
大切な人に貰ったか渡しに行くかどっちかだと思うんだけどね。
そうゆうのみて、ああいいなあって。
例えばこんなの。
このセリフにも「湊斗」君の想いがこめられているんだ。
言葉の意味が分かるだけでなく、そのセリフに込められた想いに視聴者としてはぐっと引き込まれる。
あぁ、ついに最終回。
シンプルなハッピーエンドにはならないような気がする・・・
でもsilentらしい結末「紬」と「想」二人が出す結論に視聴者はきっと共感できると思う。それを「自然」なこと、と感じる様なラストになると思う。
にほんブログ村