犬を飼うということ

犬との暮らし

元々犬はそう好きなわけではなかったが、息子が小学一年生の冬に犬を飼うことになった。

近所には同じ年頃の子供が多く、友達に恵まれ元気に遊ぶことが多かった息子だったが、夫が亡くなり4年がたったばかりの当時は、まだまだ不安定になることもあった。
今にして思えば、それはそのまま私の状態でもあった。

夜布団にはいってから、「お父さんはどこ?どうしてお星さまになっちゃったの?お父さんに会いたい」と泣き出す日もあった。
私も「そうだね、お父さんに会いたいね」と答えるのが精一杯だった。

そんな時「もう死ぬ」と言い出すことさえあった。たった7歳のわが子に「死ぬ」と言われた時の恐ろしさと絶望感。この子のためなら、私は何だってする、そう思った。

そんな頃に息子は「犬を飼いたい」と言うようになって、なんとなくはぐらかしていたけれど
それが望みなら叶えてあげようと思った。
元気に楽しく暮らしていけるのなら何だって良かった。

こうして、死ぬの生きるのと言ってパピヨン(メス)の仔犬を迎えた。
今思い返すと、何だかおかしい。でも当時は子供のために必死だし、真剣そのものだった。
名前はラッキーとつけた。

犬を飼い始めた頃、犬は癒しという人が多いのに心底驚いた。
トイレの失敗は続くし、毛も抜ける。私は一日中掃除ばかりしていた。
何よりあらゆるものを嚙みたがる。
家具でも、子供のおもちゃでも、目につくものは全部甘噛みの対象になる。
消しゴムが好きでいくつ食べたか分からない。
良い悪いの分別など全くなし。

1歳を過ぎて、成犬になる頃までは、サークルで眠っている時以外は目が離せなかった。
確かに天使のような可愛らしい顔で眠る、それ以外この小さな怪獣のどこに癒されるというの?
当時はそんな状況だった。

自分のおもちゃよりペットボトルが好き♪

散歩は毎日必ず行く。朝・夕少なくとも2回は行く。
それは16歳の老犬になった今も変わらない。

少々雨が降ろうが、寒かろうが、雪、強風、黄砂、花粉、厭わず行く。
スマホの雨雲レーダーはとても役に立つ。雨の止み間に行く。
仕事から疲れて帰ってきたばかりでも、どれほど時間がなくても、寝不足でも、体調が悪くても何を押してでも犬の散歩を欠かしたことはない。生活の中に完全に組み込まれているし、そのために時間をやりくりすることが当たり前になっている。
「今日は、ま、いいか~」ということはない。
犬のほうでもそういうものだ、と思っている。

そうして、少しずつ犬との関係を築いていけるのだと思う。
いつも、じーっと見つめてくる。
何か変化はないか、変わったことがあれば素早く対応できるように。
そして大好きだから見つめてくれるのだと思う。

だからこちらのほんのわずかな変化に気づくし、気持ちや状況を察して、配慮もする。
今は出番でない、と感じれば気配を消すこともある。黙って眠っている。
そして呼べば、にこにこ微笑む。その反応は絶妙。

いつの間にか、ちゃんと繋がり合えるようになっていった。

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