今日は前々回のテーマ、「お金さえあれば離婚したいと思っている女性の割合」をもう少し深堀り(笑)
小説「もう別れてもいいですか」の中では、
「中年女性の8割方はそう思っているハズ」というセリフがあったけれど、
いくらどうでも8割は多過ぎるんじゃないの?・・・ってのが私の正直な感想。
「いっそ離婚できたら」という気持ちが湧く時や、「一人で暮らしたら気楽だろうなぁ」と想像する時はあるとしても、それは一時の感情で、日常の生活を過ごすうちに、うやむやに忘れてしまうようなことが多いんじゃないかと思う。
夫に腹が立つ時があっても、まぁこの暮らしが平和でいいよね、と心穏やかな時だってあるハズ。
だから世の50代主婦の感覚にフィットするのは「お金さえあれば離婚したいと思ったことがある」ってことで8割なんじゃないのかしらん?
思ったことがある程度なら楽々9割も超えているかもね(笑)
お金が原因で離婚に踏み切れず、我慢し続ける女性が8割もいると想像するのはどうにもツライ。
夫が早く亡くなった独り身の私には、50代夫婦のキビなんてものは分からない。
舅と姑が亡くなるまではずっと「嫁」であり続けたし、息子を育てたから「母」ではあるけれど、「妻」であった期間は5年もないから。
「嫁」の気持ちと「母」の気持ちはよく分かる、「主婦」でもある、でも「妻」の気持ちはもうほとんど忘れました、ってのが正直なところ。
経験者だけれど当事者ではない、微妙な立場の私ですが、
「結婚生活」は夫婦二人の努力(+我慢、忍耐)があってナントか維持していけるものだと思う。
だから楽ではないし、自分勝手、好き勝手はダメだし、相手に幸せにしてもらうことを期待しているだけでも成り立たない。
夫を褒めたり喜ぶようなことを言って、ご機嫌にさせてあげるのも妻の役目・・・でしたよね?はぁ、シンドい(^^;
私は子供の頃、結婚すれば、自動的に「幸せ」になれると信じていた愚か者でした(笑)
少女漫画の読み過ぎだったのか、結婚が人生のゴールでハッピーエンドと思い込んでいました・・・(^^;
だって少女漫画には、リアルな結婚生活なんて描かれていなかったから(笑)
二人の気持ちが通じ合えば、皆に祝福されてウエディングドレスを着て永遠の愛を誓う。
そして、その幸せはずーっと続くと勘違いしていた。
漫画のラストシーンはいつも幸せの絶頂で、そこからのピークアウトを予感させるものはどこにもなかったよ・・・(笑)
二十歳頃までは、大人になったら結婚することが当たり前で、好きな人と二人で暮らすのだから、いつも「自由」で、家のことは何でも自分の思い通りになるとも思っていた。あぁ、なんておバカさん・・・(^^;
でも結婚が決まった頃から舅、姑との濃厚な関わりが始まって夢物語と現実の違いに気づき、良い夫婦の関係には日々の努力が必要だと知った。あはは。
それに比べてイマドキの女性は漠然と結婚に憧れたりはしない。
結婚に意味を見出せないというのにも頷けてしまう。
前回ブログで書いた「お母さんの知り合いで心から愛し合っている夫婦っているの?」というギモン以前に
「結婚ってなんのためにするの?」
「今の自由な暮らしの方がラクなんじゃないの?結婚って苦労の始まりなんじゃないの?」
というギモンすら湧くのも当然。
1990年代頃までは女性の結婚適齢期はクリスマスケーキにたとえられて24歳か25歳までにするもの、という風潮があった。
今じゃ信じられないような話だけれど、25歳までには結婚しなきゃ恥ずかしいという思いも確かにあった。
イマドキはそんなプレッシャーもないから、結婚するもしないも本人の自由意志。
それが自然で良いと思う。
そして、30年余りの長い年月を暮らした50代の夫婦には「愛し合っている」なんて小っ恥ずかしいコトバじゃなくて
お互いへの信頼と感謝と、まぁこの人とで良かったかな、という気持ちがあれば十分なんだろうなぁ。
それが妻の本音なら、夫もきっと同じ気持ちでいてくれるだろうから。
で、ムカついた時は「お金さえあれば離婚したい」って思うくらいがむしろ健全だと思う!
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