前々回のブログで、垣谷美雨さんの著書「嫁をやめる日」の感想を書いた。
今日はもう少し続きを・・・(^^
夫亡き後、夫の両親からの束縛や監視に耐えられなくなった主人公は、小説のラストで「姻族関係終了届」を役所に提出して離縁した。
私は、「嫁をやめる日」を読んで初めて、その制度について知りました・・・(^^
「死後離婚」とも言われるようで、配偶者(夫or妻)が亡くなった後、親族との関係を法的に解消する手続きだそう。しかも、自分の意志一つで提出でき、相手の親族側の承諾も必要ないらしい・・・要は、カンタンに夫の親族と縁を切る権利が嫁にはあるってコト。
親の介護や扶養の義務がなくなる一方で、一度提出したら取消しはできないから慎重に考える必要はある。遺族年金の受給はできるけれど、夫の法要や供養に関わることに参加しづらいなど、デメリットもそれなりにあるようだ。
よっぽどの事情がある人にとっては、「死後離婚」の制度が救いになることもあるのだろう。
「夫がいない」という点では、離婚も死別も同じ。
離婚すれば夫だけでなく、同時に夫の親族との関わりもなくなることが一般的だと思う。
一方、死別の場合は夫だけがいなくなる。そして夫の親族との関わりはずっと続いていく。
この点が大きく違う。
「その家の嫁」という立場に変わりはない。ずっと続くよ、いつまでも(笑)
夫の親とは離れて他府県で暮らすとか、実家に戻るのなら、関わりはそれ程多くないかもしれない。
でも、近い距離での生活を続けるなら、関係性はなくなるどころかもっと濃くなるケースもある・・・(^^;
私みたいにね・・・(笑)
私は幸いなことに、縁をきりたい、と思ったことはない。。
舅も姑も嫁の私に、いつも優しかった・・・よ、ね?うん・・・(^^;
でも、「何でもやっちゃる!助けてやりたい!」という気持ちが強すぎて、何から何まで過干渉だった。
それがちょっと(かなり)・・・負担だった、というのが本音。夫が亡くなって20年以上経って、舅も姑も送り出した今だから言える嫁の本音(笑)
夫のお仏壇もお墓も舅が用意してくれ、法要の段取りや費用も負担してくれた。
その上、舅所有の家に住んで、散々世話になって、至れり尽くせりやってもらうのだから、「ありがとうございます」と感謝するしかなかった。
でも!だからこそ、そこには、自由も自分の意志もない。
コレが、結構キツイ。
何でもやって貰えることをラク、とは思わない私には、まるで、籠の鳥・・・使わない羽は次第に退化していった。
でも、幼い子供がいるから、安全な場所から外に飛び出していく勇気も度胸もなかったなぁ。
それに、最愛の息子に先立たれた舅や姑の気持ちを思えば、近くで暮らして親孝行しようという気持ちや情もあった。
さて、「姻族関係終了届」だけでなく、もう一つこの本で初めて知ったことがある。
未亡人、というコトバの意味。私は長年勘違いをしていました。
単純に「夫を亡くした人」って意味だと思っていたら
本来は「夫と一緒に死ぬべきなのに、未だ亡くなっていない人」だと知って驚いた!
ひゃー。
殉死の考え方が語源で、現在では、失礼にあたるということで、本人がへりくだって自称で使うものらしい・・・
知らなかったわぁ。
夫が亡くなって、妻も死ななきゃいけないのなら、「姻族関係終了届」なんて、必要ないじゃん、ねぇ(笑)
本を読むと、知らなかったことに出合えるから楽しい。
毎晩眠る前に読むけれど、ウトウトして本が頭にゴチッと落ちてくるのもお約束。
それが、私の「もう、おやすみ」の合図です(笑)次回は、舅の過干渉エピソードをお届けします・・・(^^
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