ラッキーとのお別れ

犬との暮らし

先日、愛犬ラッキー(パピヨン)が亡くなりました。
17歳と11カ月を過ぎて、18歳の誕生日まで、もう、20日を切っていたところでした。

春頃からは、生活の様々な面でサポートが必要でしたが、それでも、最後まで自分の足で立つことが出来て、ご飯を食べることも、排泄も大きく困ることはありませんでした。
最近はコントロールすることが難しい様子だったので、オムツにしようかと迷っていたところでした。

眠っていることが大半の日々でしたが、17歳らしい穏やかな毎日が続いていました。

亡くなる前々日から、手足を洗う時も、爪を切る時も、なんの抵抗もしなくなったことと、突然水を飲まなくなったことで、これはもう、ムリかもしれないと思いました。

それから丸一日以上、身体を横たえたままで頑張ってくれて、その間に私の心の準備も少しはできました。
水の中で犬かきをするみたいに、手足をバタバタと動かし続ける遊泳運動というしぐさが半日以上続きました。
それは、老犬が最期を迎える時にするしぐさのようで、ワンコ繋がりのご近所さんからも聞いたことがありました。

でも、表情に苦しそうなところはなく、目をパッチリとあけて、手足を動かす様子がなぜか若い頃のようにみえることが救いでした。

何度か口元に水を垂らしてやりましたが、舐めるそぶりも見せず、意識はもうないようで、体温も下がっていました。
ずっと吠えることもなかったのに、何度か吠えて久しぶりに声を聞きました。
それは、苦しいでも、怖いでもなく、本能的に出ているような声に聞こえました。

息子の帰宅が間に合わなかったらと心配しましたが、ラッキーはちゃんと待ってくれました。帰ってきた息子と二人で、お迎えした頃からの思い出話をしながら、このままこれ以上苦しむことなく安らかに逝けるようにと祈り見守ることができました。そして、朝になってから、ラッキーは静かに息をひきとりました。

身体を何度も拭いて、丁寧にブラッシングをして綺麗に毛並みを整えると、本当にただ眠っているだけのように見えました。
私と息子のことを何もかも分かっているように、この1年私が時間をかけて取組んできたことをやり遂げたのを見届けた翌日、絶妙のタイミングで空へと帰っていきました。
それは、とてもただの偶然とは思えません。

17歳になってからは、何度も何度もこの時がくることを自分に言い聞かせ
覚悟をしてきましたが、いざ、実際に可愛らしい姿がなくなってしまうと喪失感に胸が塞がる思いで、気持ちを言葉で表すことを難しく感じます。

長い間一緒に暮らしてきた習慣は急には変えられなくて、ウチにいても戸惑うことばかり。

朝起きても、もう、いないこと。話しかけられないこと。抱っこできないこと。
散歩にいけないこと。
なのに、
いつもいる場所にふと目をやってしまうこと。そこにいるつもりで動いてしまうこと。
何処かに行っても「待っているから、早く帰らなきゃ」って思ってしまうこと。
ウチにいても「待っているから、早くコレやっちゃわなきゃ」って焦ってしまうこと。

あぁ、もういないんだった、って気づいて、心がスーッと冷たくなる。

長い年月の習慣なので、ソバにいないこと、もう何もしてあげられないこと、それ自体がどうにも手持無沙汰で泣けてくる。

姿が見えなくなっただけで、きっとまだウチにいるように思えて
ごはんとお水をこれ迄と同じ場所に同じように用意しています。

食事の支度をしていると、ソワソワとごはんを待っている感じが伝わってくるし、
息子と二人でソファでくつろいでいると、すぐ側でお利口に寝そべっている感じがします。
私の後ろ姿をじっと見つめている気配もします。

それは、ずっとではないけれど、時折そんなふうにラッキーがいる気配を感じられます。
四十九日まではこちらにいる、というのはヒトもワンコも同じなのでしょうか。

何度でも、もういつもの場所にいないことにハッと驚いて、何度でもそれを繰り返して受け入れていくしかない。少しずつ、少しずつ。

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*写真は7歳頃です。読んでくださり、ありがとうございます。

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