前回ブログで息子の保育園での運動会のエピソードを書いた。
それはもう20年も前の話。
大抵の子がお父さんと一緒に「騎馬戦」に出る中で、息子はおじいちゃんにおんぶされて参加した。
私は息子を不憫に思い、夫はもうこの世にはいないんだと改めて感じた。
結局あの時は、夫が息子をおんぶして「騎馬戦」に参加する以外には他の誰の代わりをもってしても私は受け入れることができない、という状態だったんだと思う。
夫が亡くなって半年程が経ったくらいでは、まだまだ私はてんで弱っちい「シングルマザーのひよっこ」だった。
思い返せば、息子と二人になった初めてのクリスマスやお正月も、街の賑わいや、特番の楽し気なテレビ番組を観るだけでも、余計に寂しく、心細く、不安になるのだった。
私一人で、この子を幸せにできるのだろうか、大らかに育ってくれるだろうか・・・
先の事を考えると、あれこれと不安は沸き起こった。
もし、私が何か深刻な病気になったらどうしよう・・・
当時一番心に浮かぶ不安はコレだった。
息子を自分の手で育てられなくなることが一番の恐怖だった。
お父さんが死んでしまったのに、お母さん迄いなくなったらどうする?と。
だから、私は健康診断やがん検診なども積極的に受けた。
結果はお陰様で何の問題もないのだが、例えば乳がん検診にパスしたとしても、次は胃だったり、大腸だったり色々な所が気になってしまう。
ちょっと胃もたれがするとか、腹痛が続く程度でもきちんと検査することを自ら望んで、その度毎に医師を驚かせたと思う。
まだ、若いから問題ないでしょうね・・・大丈夫そうだけどね・・・(笑)
そう言われても検査を希望した。
そして、異常なしの結果が得られた時の安堵感を繰り返し重ねることで
大丈夫、ちゃんと息子の成長を見守れると何度でも自分に言い聞かせた。
不安で、怖いから、何か納得できるエビデンスが欲しくてそうしていたんだと思う。
それでもまだ不安で私には「これからの人生の指針」となるものが何か必要だった。
息子と二人よりよく幸せに生きていくために。
それを私は良書に求めた。図書館でコレはと思う本を片っ端から読んだ。
それが「スピリチュアル」な考え方との出合いに繋がった。
そんなふうに、自分の身体を何度も確認して、心もしっかりと見つめなおして自分自身を整えていったのだと思う。
誰だってシングルマザーになった途端に、強くなれるわけじゃない。
やがて息子が成長するにつれて、徐々に不安は減っていった。
小学校、中学校、高校と卒業した頃ようやく「ここまでこれば一安心」と思える様になったと思う。
本当に長かった・・・
保育園、小学校の卒業式でも保護者席では我が子の晴れ姿に感無量で涙ぐむ方がおられるが、今はまだ泣いている場合じゃない、と私は自分に言い聞かせていた。
小学校の卒業式くらいで感激して泣いてどうする?と。この先まだ長いよ、と。
まだまだまだまだ・・・いつも私にとっての目指すゴールは、大学を卒業して就職する22歳の4月1日、その日だった。
でも目指すその日は、空のお月様みたいに果てしなく遠く遠くに感じていた。
3歳が22歳になる。それはどう考えても実際とてつもなく長い。
「ヘタレのひよっこ」だった私が逞しいシングルマザーに成長する過程には随分と色々な事があって、その度に少しづつ強くなっていった。
だから、あなたも焦らなくて大丈夫。嫌でも強くなっていけるから。だから絶対大丈夫。
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