姑の百箇日法要~とかく義理の仲は難しい!?

嫁の気持ち、姑の気持ち

1月に91歳で亡くなった姑の百箇日法要を終えた。
法要と言っても身内のみ、私の夫も夫の弟もつまり二人の息子は共に早く亡くなったので
私と義妹、二人の嫁だけでおこなった。

お寺でお経の前に住職から説法があるのはいつものこと。
気楽な雑談の後は、今回は百箇日法要の意味をお話しくださった

故人がなくなって百日目までに行う百箇日法要とは「卒哭忌(そっこくき)」ともいうそうだ。
「哭」という字には「哭する(こくする)」、「大声をあげて泣く」という意味があって
故人が亡くなったことを嘆き悲しんで、泣いてばかりいる状態からはもう卒業する、これで区切りをつけてこれ迄通りの日常の生活に戻っていく、そうすることで故人にも安心して貰える、という意味合いの大切な節目の法要なのだそうだ。

今からもう21年も前、夫の百箇日の時も同じような事を住職は話してくださったが、その時は義父母も私も唖然としてしまった。
「おっさま、今日で泣くのは卒業なんて、そんなこととても出来るわけないに」
その時舅はそう住職に言って、姑も涙をこらえていた。

息子が先に逝く逆縁の不幸を、たった百日で乗り越えられるわけなどない。
夫の百箇日の時は住職の言われるように、これでしゃんとして日常生活に戻るなんて「ありえん!」という感じだった。

でも、今姑の百箇日を終えて気持ちは静かだ。何もしてあげられなかったという後悔はまだあるが、義妹と二人で姑の百箇日の法要を行うことが出来て本当に良かった。姑も喜んでいてくれるだろう。

私だけでなく、義妹もこの家の嫁として姑の供養を一緒にしてくれることは、とても心強く思える。

二人でお墓参りをしてから、最近ようやく片付いてきた諸々の手続きの状況などを報告し合う。

それにしても、私と義妹のこれからの大きな課題は「親の家どうする問題」だ

まずは片付け。物が本当に多い。多すぎて一旦ギブアップ中(笑)
本の量がおかしい。本棚がいくつもありどこもぎっしり詰まっている。
録画して有るビデオテープもズラリ並んでいる。
食器、茶器、茶碗、キッチンの道具類は山盛ある。
衣類、布団、そして昔の写真も物凄くたくさんある。
夫の通知表とか、弟が書いた「おかあさんへ」の手紙とか本当に何でもかんでもとってある。
そして、そういうものはポイッとは捨てられない。

でもそのまま家を放置することはやっぱり駄目なのだ。
空き家問題は、雑草など庭の手入れを怠るとご近所へ迷惑がかかるし、年数が経つほど街の景観を損なうことになる。不用心で犯罪などに繋がりかねないとも聞く。

1周忌が過ぎたら色々考えないとね、と話している。

義妹は私とまるで違うタイプだ。
私は妙にしっかり者。妹はふんわりとゆるめのキャラ。それぞれに長所、短所がある。因みに年も10歳違う。

「とかく義理の仲は難しい」と一般的には言われるし、その意味もよく分かるけれど、私は義妹がいてくれて本当に心強いし有難いと思っている。性格が違うから考え方も違うし価値観も違う。でも、お互い「全然違うよね」と認め合った上で大切な存在だ。

義妹とだけは同じ嫁としての立場で色々な苦労や煩わしさを理解し合えた。
愚痴や不満も唯一言える相手だったし、何かある度お互いの気持ちを察し、庇いあった。

今、夫も夫の弟もとうに亡くなり、義父母を送り出し自分達嫁だけが残って、私たち二人にこんな日が訪れるとは嫁に来た当初は夢にも思わなかったけれど、
私たちはここまで本当によく頑張ってきたなぁ、と思う。

あとは「親の家どうする問題」
きっと途中でまた色々なことが起こるだろうけど、何故だか最後はきっと大丈夫と思える。
これ迄だって、力を合わせて何とかやってきたのだから。

ってなんだか、いい話しになってるやん。

また、「義父母のアポなし訪問」のシリーズでも書こうっと(笑)
ふふふー♪

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最後まで読んでくださり、ありがとうございます(^^)/

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