母親の想い~自転車に乗れるようになるまで

子育て

犬の散歩で、近くの広場を通りかかった時に自転車の練習をする親子を見かけた。
春休みも終盤、桜吹雪が舞う中でのその光景は微笑ましく、子育てはとうに終えた私にも懐かしく感じられて、見入ってしまった。

男の子は案外背が高かったから小学校2年生、もう3年生くらいかもしれない。

一生懸命練習を繰り返している。

右足でこいで、ちょっと進む。でも続く左足はこげずよろけて足をついてしまう。
左足からこいでも、ちょっと進んで、やっぱり右足には続かなくてよろけて足をついてしまう。

そんな様子をずうっと何度も繰り返していた。
男の子は悔しそうだ。
「もういやだ!」と思っているようにも見える。
でも不平も言わずモヤモヤを抱えた固い表情のままで、何度も自転車を漕ぎ出して頑張っている。

「反対側の足に続けば乗れるようになるのになぁ、もうちょっとだ!」
見ているこちらにもつい力が入って、心の中でそう思う。
ホントは励ましに行きたいくらいだけれど、代わりに犬をよしよしする・・・(^^;

お母さんは近くで腰は降ろしていた。けれど、スマホをいじることもなく
じーっと息子の練習の様子を見守っていて表情も真剣そのものだった。
笑顔一つなく、ちょっと怖い表情に見えてしまうのは、子供の為に必至なのは勿論だけれど、心配と苛立ちがあるから。
「何で、ウチの子はこんなことくらいできないの?
 皆もう乗れるのに!出来るようにならないと!」きっとそんな気持ちなのだと思う。

子供を育てる中で誰でも一度は経験しそうな出来事。
自転車、逆上がり、九九の暗唱。
コツを掴んでできるようになってしまえば、どれもどうってことないのに、とっかかりで苦労する子供は結構多い。
私も息子が小学生の頃に、友達が誰も来ない遠くの公園で、逆上がりの練習を一緒にしたっけ。誰かに見られるのは恥ずかしいって言うから。
鉄棒にお腹をくっつける、これが逆上がりのコツなんだけど、それがなかなかできなかったなぁ。
あ!私自身も小学2年生の頃自転車の練習の時にちょっとした崖から落ちたことがあって
「自転車乗るの怖い」って気持ちもすっごく分かる!


今は多様性が尊重される時代となって、個性は大切と考えられるようになってきたけれど、息子が幼い頃は、とりわけ学校のような集団生活の中では「皆と同じであること」が当たり前に求められていた。私が子供の頃はもっとそうで、自分だけ出来ない事があればそれはそのまま劣等感に繋がった。

母親はできるようにならないと、子供が恥ずかしい想いをするし、困るだろうからと
何とかしてやらねば!と必死になる。

でも、その必死さは子供にとっては「圧力」となって、余計に委縮させて結果上手くいかないことがあるのだと今だから分かる。

「ちゃんと出来るようになるから大丈夫」
そう信じてあげられれば、自分も楽だし子供の気持ちも前向きになる。

だけど、その時はそんなふうに思えないのよね~
私が頑張って出来るようにしてあげなくちゃ!とつい必死になってしまう。
イライラも募る。情けなくもなる。

そういう時、母親が自分自身のことを冷静に今の状態や感情を俯瞰でみることは難しい。
冷静になれないのは子供の事が愛おしくて大切だからこそ。だからつい必死になってしまう。

犬とぐるっと一回りしてきた帰り道も、まだ変わらずに練習は続いていた。

大丈夫、きっと乗れるようになる。

まず、お母さんがちょっと楽になるといいね。かつての自分の姿が重なった。

さて、私の友人、知人は既に孫が生まれて「おばあちゃん」になっている人も多い。
皆一様に「孫は可愛い」と言って嬉しそうに孫自慢をする。
でも、私は息子がこの先結婚しても孫を望むことはないと思う。
孫が生まれたらそれは可愛いだろう。可愛いに決まっている。
だからです・・・
可愛いからこそ、またあれこれと心配になる。元気か、友達はいるか、楽しく学校に行っているかと離れて暮らす分一層心配ばかりしてしまいそうだから(笑)

子育てが終わってようやく肩の荷が降りたのに、孫の心配は当面御免こうむりたいと思っている。これって私が子離れできてない証拠なんじゃないの?と思えてちょっと可笑しい。ぷぷぷ。

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