ラッキーのいない日常

犬との暮らし

ラッキーがお空にかえっていって、ウチに一人でいる時の静かなこと。
この世に私しかいないんじゃないの?と思えるくらいのこの静けさに慣れることができなくて、ますます寂しくなる。
おまけにこの時期は日暮れが早い。夕方5時には真っ暗になって一人ぼっち感が募る・・・ムリ(^^;
これは、なかなかキツイ。

何かを張り切ってやる!という感じが湧いてこない・・・しょんぼりとして動けない。
でも、ラッキーは私が掃除するのを見るのが好きだったなぁと思い出す。
朝のごはんと散歩が済んで、私が掃除機をかけていると、いつも安心した表情でまったりとくつろいでいたっけ。「今日も平和」という顔をしていた。

掃除だけじゃなく、料理とか、パソコンとか私が何かに集中していると、「それでいいよ」という顔をしてリラックスしてしていた。

だから、私が何もしないでボーっとしていると、心配するだろうから普段通りにシャキッとしよう!と思う。でも、まだ、思うだけでただの抜け殻。

先日偶然、虹の橋の詩の意味が書かれた記事が目について、私自身も思い違いをしていたことを知った。

亡くなった大切なペットは、虹の橋を渡って天国へいくのではなくて、橋のふもとで飼い主が来る時まで待っているのだそう。
そこは温かくて、食べ物もたくさんあって、仲間もいる快適で幸せな場所。そこで再会を待っているという詩。
なんとも健気なわんこ達。
いつの日か再会できるのなら、嬉しい。
けれど、それはそれとして、現実の中でまずはしっかりと自分の日常を生きていかないとねー、と思う。でも、まだ、そう思うだけで使い物にならないポンコツの私。

今、ラッキーは何処でどうしているのか分からないけれど、苦しくも寂しくもなくて、安らかであってくれたらいいと思う。
きっとそれと同じように、ラッキーも私の穏やかで幸せな暮らしを願っていてくれるだろう。
だから、まだ時間はかかるけれど、そうしていかないとねと思う。
そう、頭ではちゃんと分かっているのに、どうにも気持ちが追い付いていかない

シングルマザーの私にとって、犬を飼うことのハードルは高かった。
もし、私に何かがあって、お世話ができなくなったら、犬は困ってしまうから。コロナ禍になって、感染したら、即隔離、入院だった頃は本当に恐怖だった。
ラッキーをおいて、息子ともども入院することになったら、と想像するだけで恐ろしかった。
そんなことにはならず、私は健康で最後までお世話と看取りができたことにはホッとしている。


もっと、してあげられることがあったのに、という後悔と、まだ一緒にいたかったという気持ちが何度も湧いてくる。

18歳間近。十分長生きしてくれたのだから、そう思わないようにと決めて覚悟もしていたのに、想像していたのと、ラッキーが亡くなってからの現実の世界は随分と違っていて、ただ、ひたすらに悲しいんだ。

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