大好きなバレエに出合えたのは夫のおかげだと思っている。
夫が亡くなってから夜はなかなか眠れなくなった。夜が何故だか怖かった。
ずうっと眠れないまま夜が明け始めて、辺りが明るくなってきたことで、なんとなく安心して眠れるという感じだった。
3歳だった息子も精神的に不安定な様子だったし、夫の勤務先での様々な手続きや四十九日の法要、お墓開きなどなど、悲しいだけでなく多岐にわたる初めてのあれこれに忙しくて、少しも気持ちが休まる時なんてなかったと思う。
どんなふうに毎日を過ごしていたのかも思い出せないくらいで、夫が亡くなったのは2月だったがいつの間にか息子の保育園の入園式も終わって、気が付いたら暑い時期で7月になっていた、という感覚だった。
真冬だったはずなのに、もう夏が来ていた!そのくらい季節を飛び越えるみたいに時間の流れ方が不思議だった。
そんな夏の初め頃、市の広報誌に市民講座の受講募集記事が掲載されていて、その中にバレエの講座があるのを見つけた。
「バレエ・・・」子供の頃からの憧れだった記憶が蘇った。
息子は昼間は保育園に行って、その間に身体を動かす事を始めたら少しは夜眠れるようになるかもしれない、そう思って応募した。
子供の頃からバレエへの憧れが募るエピソードが幾つかある。
小学校3年生頃。クラスにバレエを習っている子がいて、彼女のラジオ体操は手・指の先まで美しかった。そして教室でもバレエのポーズを披露してくれて「綺麗!こんなふうにできるようになりたい!」と思った。
けれど、田舎に暮らす小学生だった私は、習い事といえば習字とそろばん、高学年になると塾に通った。どうしたらバレエを習えるかと考えることもせず、親に頼む事もせず、最初から諦めていた。
雑誌に書いてある様に頭に本を載せて背筋を伸ばして歩いてみたり「バレリーナのポーズ」を真似したり、バレリーナのお絵描きをすることがせいぜいだった。
トゥシューズのリボンの重なる部分を何故だかいつも丁寧に描いた。
でも、ただそれだけだった。
22歳の頃スポーツクラブのプール会員になり、休日はよくプールに泳ぎに行っていた。
ある日普段は閉まっている扉がたまたま開いていて、スタジオの中が見える時があった。見るともなしにスタジオの方に目をやると鏡の前にレオタードを着て、トゥシューズを履いた中学生くらいの女の子たちが思い思いに身体を動かしていた。
私はその光景に釘付けになった。そして胸が締め付けられるほどせつなくなった。
「あぁ、バレエが習えていいなぁ」
どれ程憧れてもどうすることもできず、ただ羨ましくてせつないのだった。
そんな頃会社からの帰り道、駅から少し歩いた所にバレエスクールを見つけた。前を通ると、綺麗な音楽が聴こえてくる。私はそこを通るのが楽しみになった。
でも中の様子は分からなくて、ただ聴こえてくる音楽に耳を傾けるだけだった。
なんて綺麗な音楽だろう、中を覗いて見たい・・・いつもそう思っていた。
その後自宅から駅までは車で通勤するようになり、そのバレエスクールのこともそのまま忘れていった。
そんな私がまさか、35歳になって自分の暮らす街の市民講座で気軽にバレエを始められることになるとは!
いきなりバレエ教室に入会する事は敷居が高すぎる。でも、市民講座でならやってみよう、できそうもなかったら辞めてもかまわない、と考えて申し込みをした。それが20年も続くことになるとは当時は思いもよらぬ事。
教えてくださる先生があってこそ、これ迄続けてこられた。
まず何よりそれに感謝している。心からありがとうございます。