最近心に刺さったコトバが2つある。
一つ目は内館牧子さんの小説「終わった人」より
①「職場と墓場の間で、刺激的なことのある人生こそが面白い」
思わずあははと笑って、確かに退屈しなくていいだろうなぁと思う。
今や人生100年時代。
「職場」から「墓場」にたどり着くまではかなり長い。
100歳でなくても、ゆうに20年くらいはありそうで
それがセカンドライフをどう生きるかという迷いや悩みに繋がる。
遠くない未来に夫の定年や自身のシゴトの辞め時
がみえてきたアラ還世代のワタシたちは、セカンドライフの入り口に立ち漠然とした不安を抱えてしまう。
あり余る時間をどうして過ごそう、と。
シゴトを辞めたらどんな生活になるだろうと考える。
でも、残念ながら
そこにキラキラしたセカンドライフはイメージできない・・・(^^;
職場と墓場の間にワタシにも刺激的なことが起こることを願おう 笑
2つめは東大病院の医師、矢作直樹氏の著書「ちょっと魂、洗ってみる」より抜粋。
②「どこかに素晴らしい良縁が転がっているんじゃないか、悪縁ばかりでがっかりさせられる、ちっとも恵まれていないと嘆きたくなることもあるでしょう。
でも、それは本当でしょうか。
いま、目の前にあるもの。いま、目の前にいる人。
それがまぎれもないご縁です。
まずはそこに感謝すること。
そのご縁が自分にとって心地よいものではなかったとしても、それこそが、人生に深い学びをもたらすエネルギーとなります。
遠くばかりを見つめて、成功者と呼ばれる人を羨ましがっていても、同じご縁は自分にはきません。いま、ここ。目の前にあるものの中に、すでに「自分」も「目的」も「縁」もすべてがそろっている」
あぁ本当に、その通りだと思う。
今、目の前にあるもの、自分が手にしているものはこれまで自分が選び取ってきたものの結果。
それなのに文句をいって、人を羨ましがったり、どこか別のところに幸せがあると変化を求めたとしても自分が変わらなければ同じことの繰り返しになるだけ。
ですね、ハイ、頭では分かっているのです・・・が、還暦目前でも未だいろいろと思い煩うのが現実ですわ(^^;
セカンドライフに刺激を求める①
と
目の前にあるものこそが自分そのもの②
矛盾するようだけれど、どちらにも大きく頷き共感する今のワタシです。
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