17歳パピヨン との日常

犬との暮らし

12月10日でついに17歳になったウチの犬(パピヨン 女)
正直ここ迄長生きできるとは思っていなかった。
元気でご飯も喜んで食べるが、この夏頃からは老化による衰えが激しい。

耳が遠くなったのはここ2年くらいだけれど、目がもうほとんど見えていない様子。

ウチの中にいても、壁の方を向いてじっと座っていることもあるし、
方向感覚が掴めていないような感じ。
サークルの入り口も分からないようで、中には入らず側面に座って「入りましたよ」って顔をする。「そこは違うよ・・・」(^^;

以前はウチにいれば、ずうっと私のことを見つめてきた。
あんまり見てくるので「先に目をそらした方が負け」ってゲームをして
私も同じようにずうっと犬の事をみつめ返した。絶対目をそらさないように。
私たちはいつもかなりいい勝負をした。
最後はこちらが根負けして「可愛い、可愛い」と頭を撫でる。

もうそんなこともできなくなった。
光は感じているし、人が側にいる感覚などはだいたい分かるが、はっきりとは見えていない。だから私を見つめてくることもなくなってしまった。悲しい。とても。

散歩に出る時、帰った時、玄関ドアの開け閉めで扉が動くのにさえ困っている。
扉をよけようとして代わりに傘立てに突っ込んでしまったりと、見ていて本当に悲しくなる。

いつの間にこんなに見えなくなってしまったんだろう。

後ろ脚が弱くなってしっかり立てないし、歩くスピードも随分ゆっくりになった。
匂いは嗅ぎたいようだけれど、以前の様に近所の人や犬仲間とコミュニケーションを取る意欲もなくなってきている。

つまりあらゆることに反応が薄くなった。
特に「喜ぶ」「嬉しくてはじける」「興味を持つ」ということが少なくなってきた

以前は散歩に出ると、誰かに「可愛い」と撫でてもらうと、凄く嬉しそうにしていたのだけれど。話しかけられても聞こえないのか、どうでもいいのか、自分から寄って行くことはなくなった。

外で遊ぶ近所の子供たちの事も大好きでいつも「仲間に入りたい」とそわそわしていた。
子供たちが声を掛けてくれたり、一緒に走ったりする時はいつも笑っていた。
「楽しいよ!」ってことを私にも笑顔で伝えてくれたっけ。

先日クリスマスイブの朝はこの辺りでもしっかりと雪が降り積もった。
ウチの犬は雪が積もるといつも嬉しそうに張り切って散歩に出た。
犬の肉球の形の足跡は小さくて可愛らしくてそれが新雪の上に点々とついているのを見るだけで「ふふふ」と笑えてきた。
わざとふかふかの雪が積もっている所に行きたがったが、今年もやっぱり雪には反応した。

「わーい」って言って積もった雪に向かって飛び出して行った。
私にはそう見えた。やっぱり雪が好きなんだ。ね。

2019年2月 まだよく見えた頃

散歩に出る以外はもうウチの中でただ静かに穏やかに過ごしている。

寂しいけれど、私はそれでいいと思っている。
もう17歳。いつまでも元気一杯だったらむしろおかしいから。

暖かい日差しがよく届く南向きの窓辺のいつもの場所で、犬は丸くなって眠っている。

その様子をみるだけで、「あったかいね、良かったね」と思う。

犬が快適な環境で不安なく過ごしてくれていたらそれでいい。他に望むことは何もない。

ただ、そこでのんびりとしていてくれたらいい。

そして、もうそう遠からず最期の時がくるのだろうけれど、その時は側にいてやりたい。

寂しいからもっともっと長生きしてね、ずっと一緒にいてね。

そう思う気持ちもあるけれど、それはやっぱり飼い主のエゴ。
人と同じ様に犬にも猫にも寿命はあってそれを全うすれば良い、と考えるのが本来だと思うから。

ウチの犬の寿命は結構長いようだけれど、最期のその時まで私の精一杯の愛でしっかりと守ってあげようと思う。

耳の形が可愛い 宇宙一可愛いと思う

こうして犬のことを書いて最期の時をちゃんと受け入れられるように、少しずつ自分に言い聞かせているのだと思う。どうしたって、どう考えたって、悲しいに決まっているから。

「おはよう」から「おやすみ」まで顔をみれば挨拶したり、何かしら話しかける。
それはどうでもいいようなことばかり。でも、そうせずにはいられないほど完全に習慣になっている。

いいにおいのする美味しいものを買ってこれば、まずすぐに匂いをかがせる。
どんなふうに匂いを嗅いでどんな表情をするか見たいから。

一緒にご飯を食べて生活の全部を一緒にしている。

その犬がいなくなった時の喪失感は凄いと思う。

あぁ、私の心に浮かぶあれこれをいつも全部聞いていてくれたんだね。

ありがとう。いつもありがとう。温かくしておやすみね。

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