先日、かつての職場の同僚とバレエ(ガラ・コンサート)を観に行きました。
ダンサーの皆さんのセンターレッスンが舞台上で披露される珍しい演出と谷桃子バレエ団ソリストの森岡恋さんの可憐な踊りを間近に観られて大満足でした。
バレエ鑑賞のあとは、イタリアンのお店で都会の夜を満喫(笑)
なに飲む?なに食べる?とひとしきり相談し終えた時、
QRコードを読みとってスマホからのモバイルオーダーであることに気づいて元気を失うアラ還のわたし達(^^;
「目、見える?文字読める?」と気づかい合う(笑)さらに、カトラリーの入ったカゴに細長いスティック状のパンを見つけるも、この食べ物の名前がなかなか思い出せず大苦戦はつづく。
「えーっと・・・ほら、なんだっけ、コレ。前菜でさ、生ハムなんか巻いて出てきたりするヤツよね・・・」えーっと、えーっと・・・知ってる。でもムリ(^^; 衰えはこんな時にも実感する。名前がでてこない。
さておき、初めて就職した会社で同期だった彼女との会話は、かつてはもっぱら恋の話。
お互い独身なので、今では
おひとりさまの老後について話がはずむ。
「なんのために働いてる?」というワタシの問いに
「居場所がほしかった」と彼女はこたえた。
あぁ、その気持ちよく分かる。
自分を受け入れてくれて、心地よく働ける場所があることは心の安定に繋がると思うから。
パート先を転職して1年半が経ったワタシ。
その間何度も、弱音をはいて折れそうな気持ちを投稿してきましたが・・・
さすがに
もう慣れて大丈夫なんでしょ?
このまま続けていけるんでしょ?
と思いますよね、フツウはね・・・(^^;
私自身もそう思いたいのですが、未だ
もー、ムリ。
と思うこともしばしばあるキビシイ現実です(悲)
シゴトに対して特別大それたことは何も望んでいなくて、
パートなので決められた時間をフツウに働きたいだけなのですが
「平常心で出社して、フツウに働く」
という当たり前のことができない日もある現状に
フツウに(気楽に)働けるとは尊いことなのだなぁと感じています。
職場での人との関係が苦しいというケースは多いと思う。
シゴトの内容がイヤで辞めるというより、人間関係で退職する人の方が圧倒的に多いとも思う。
人間関係に問題アリの場合は
誰かの態度が原因で自分の感情がアップダウンを繰り返す。
ワタシもそう。
でも、そんな他人軸の不安定な感情は日常の生活にも支障をきたす。
元気なし。自信も失う。
頭の中でぐるぐる堂々巡りをしてますます憂鬱になる悪循環に陥る。
けれど、
目の前のいつものシゴトを一生懸命やっているうちに、色々が上手くかみ合ってまた「大丈夫」と思いを改められる時が自然にくるのだ。
ワタシの場合はね。
今の職場がワタシの居場所になる日は来るのでしょうか・・・(^^;
それでも、いつもと同じシゴトを繰り返す中でホッとできる瞬間があることは一筋の希望といえるかも??
あ、ちなみに細長いスティック状のパンの名前は「グリッシーニ」思い出した時、めっちゃスッキリしました!時間かかったけどさ(^^;

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